2007年4月 7日 (土)

社会人になって1年たったわけだが。

昨日、席がまた変わった。

上司もまたもとに戻ったわけとともに、
仕事内容もだいぶ変化しました。

いきなり一日だけの猶予をあたえられ、
「ネットのトレンド」を調べてといわれた。

んで、部長とかいる前で調べた結果をはなしたけれど、
結局何もわからずじまい。

セカンドライフ、FeliCa、
囲い込みを果たしたSNSサービス、
ブログパーツ、
Googleアース、野球の中継を無料でネットで視聴できる、
自宅から、子供の通う学校の下校状況をメールで確認できるサービスとか、

・・・・この場にいる誰もが知っていることばかり。

もう発表しているときに嫌になってきた。
精神的に泣きたくなった。

終わってから誰も無言だし、痛いな、自分・・・って感じだった。

入社して一年。

結局ボクは何も成長していない。

これからまた新しい新人が入ってきたわけだけど、
結局なぁんも・・・・

ボクは世間一般からすると、
仕事ができない人間なんだとおもいきり実感した。

それでいて、学生生活も結局自分のそのときの感情だけで、
行動していた。

無計画になんの目標もなくただただ生きていたと思う。

しかし、学生と社会人ってまるで違うと感じられずにはいられない。

今の仕事をやるには、
本当に新しいもの好きで、深いところまで調べるだけの根性がないと、
ついていけないわ。

この仕事が自分にむいているのか、
いやはや、社会人としての責任が重いのか、
結構しんどい感じです。

こう、仕事内容があいまいというか、
ほとんど仮説をたてて実行していく仕事だから、
アルバイトみたいにマニュアルもないし、
なにをそうすればいいのか、わけわからない。

ハッキリ言って、自分のビジネススキルがまったくないということを
実感するだけの一年だったような気がする。

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2007年2月27日 (火)

対自分

入社して1年目の社会人ヒヨっこのボクチャンですが、
本日自分の出身大学へ行きました

もちろん仕事でです。

与えられた業務はリクルート活動

就職活動中の大学3年生に興味をもたせ、
うちの会社説明会に参加していただくことがそのミッションです。

本日は過去にお世話になった先生にご挨拶。

その後に、研究室での飲み会があるということで、
喜んで(?)参加させていただきました。

で、ボクと年齢がタメの後輩(?)がいるのですが、
ロクに話したこともないのに
彼は今日ボクがお伺いすることを知っており、
事前にわざわざメッセージを送ってくれてました。

昨年末も、研究室の飲み会があるということで、
OBである僕はメッセージをいただいていた
のですが、
ボクはそれに対し返信せず、放置しておりました。

もういろんな方がお気づきかと思いますが、
ワタクシは一人っ子であるため、どうも自由気まま、自分中心であり、
気分がのらないとメッセージを返信しない傾向があります。

しかもデフォルトでかなりの面倒くさがりということもあり、
よく友人からは、
メールが送っても返信がない、
こっちが質問してるんだから返信しやがれ、コノヤロー!殺すぞお前!

頻繁に脅迫されているわけです。

まぁすべてはお金ではなく、メールを返さない僕が悪いのですが。

ボクはそんな人間であるのに対し、
研究室の後輩である彼はそんなボクとは反対でずいぶんこまめなわけです。

今日、ご挨拶に伺い、参加させていただいた飲み会で、
なんとこの後輩が、先生(2人います)にそれぞれ誕生日会を開き、
プレゼントまで用意した
んだそうです。

さすがの先生も、過去に例がなく、驚いたとともに、うれしかったんだとか。

いや、オイラが学生のころはこんな発想まったくしたことなかったのですよ。
それどころか、過去に付き合った自分の彼女にすらろくなことしてねぇし
てゆうか、自分にしてもらうことも望んでないのですが。
プレゼント選びがこりゃまた面倒だと思うんすよね。

ダメじぇん・・・・オレ・・・OTZ

しかしほんと、この話を聞いたときには、ただただ関心しました。
いや、すごいと。

できるようでなかなかできないことです。

いちいち恋人でもない他人の誕生日なんて気にしない、
そうゆうのに気を使う分、自分の時間などを使うわけですから。

(↑こうゆう書き方をしている時点でダメなやつですが。)

世の中、企業も会社も社会も国もすべて人の集まりです。
こういった、他人への配慮というか、こまめさ思いやりが一番大事だと思うわけですよ。んでもって実際に行動すること。

ボクなんてどこか見返りを望んで行動しますから。

自分でもかなり前から重々承知しているのですが、
怠け癖があるせいか、実行にうつすことがなかなかできません。

今日は、リクルート活動においてはほとんど成果をあげられませんでしたし、
情報からすると、今年はちょっと期待できなそうですが、
今日訪問させていただいたことは、いい意味で自分にとって刺激となりました。

今後は、自分の中にある怠け癖と戦っていこうと思います。

まぁこうゆう考えというか反省をするようになっただけでも成長したかな・・・
一年前に鬱状態のときではこんな考え方なんて絶対しなかったと思うし。

とりあえず最初のミッションは義理チョコのお返しか・・・・

会社でもらった、8人分の名前が記載されているバレンタインの。

8人で1個なのですが、
名前があるところをみると、やはり8人個別にお返しする必要があるよな・・・(汗)

こ・・・・今月の給料、残業少なかったから少ないんだよ・・・・

とまぁ、久しぶりに自分の反省をブログに書きました。
ブログをはじめたのも、自分の反省のためみたいなものでしたが。

今日は『あいのり』が放送されないみたいで非常に残念です。

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2007年1月21日 (日)

メディアの力と人間のおろかさ[納豆ダイエット]

納豆ダイエット事件をご存知だろうか。

「発掘あるある辞典」という人気番組で、
納豆を朝と夕方と、一日に2回食すと、
ダイエット効果があらわれるというもの

ボクもこの番組を見ていた。

この納豆ダイエットを取り上げた発掘あるある辞典の放映から、
約1週間後、いろんな場所で納豆の売り切れが続出した。

ボクも自分の母親に、
会社帰りにメールが着て、納豆が売り切れでかえないから、
探せと指示をうけたぐらいだ。

もっとも、うちの母親は納豆ダイエットには興味がなく、
もともと納豆大好き人間であり、
一番好きな食い物が納豆と豪語しているぐらいで、
納豆自体が食えないことに不満があり、
ボクに買えと連絡してきたのだ。

納豆ダイエット放映により、
納豆が売れまくりの事実に対して、
ブログのネタにできるとは思っていたものの、
それを実行しなかった。

そこには、所詮納豆ダイエットも、あと2週間でほとぼりが冷めるだろう、
楽してダイエットしようとするおろかな考え方に対して、
冷ややかな見解をもっていたのも事実であり、
あえてかかなかった。

また、TV放映後、1週間たってから売り切れ続出をみると、
TV放送後にブログ等で書き込んだ人間が多かったのだろう。

ブログの口コミといわれる情報で広まり、
時間差が生じたのだろう。

インターネットが納豆ダイエットのはやりに一役買ったのだろうという見解も持っていた。

事実、楽してやせようなんて、
なんておろかなやつらが多いのか、
どうせこうゆう人間に限ってすぐ飽きるだろうと、
上司にも口をこぼしたことがあるのも事実だ。

なんだかえらそうな意見になり申し訳ないが、実際そうだ。

自分自身でそう見解していたが、
この件は意外な結末を終える。

それは、納豆ダイエットの証明をした実証検証は、
すべてウソであり、
検証なんかしていないこと、

つまり、納豆ダイエットは裏づけがないものだったというTV局側の発表である。

TVの放送は、うそがない、誤りがないという、
われわれ人間の先入観とおろかさが本件で露呈した。

そして、真実だと一般の人々に印象を簡単にも与えてしまう、
TVというメディアの恐ろしさも改めて実感した事件だ。

この事実を考えると、
TVというメディアを支配することができれば、
日本国民全員を操ることが可能ということだ。

まったくもっておろかであり馬鹿であるとしかいいようがない。

こうやって人間を馬鹿にしたような記事を書いてはいるものの、
そんな記事を書いている自分自身もまわりと変わらなく
おろかであり馬鹿であることも事実。

今のボクは、どこのだれが馬鹿であるというよりも、
自分を含めた人間という生き物自体がおろかであることを、
再認識したような感じでいる。

そしてこうもまわりを見下している自分はなおおろかである。

しかしやはり人間自体がたいしたことがない以上、
自分だけじゃなく、まわりもおろかである。

こんな世界でいきているのだから、
僕自身がなにかできない、なにもできないわけもない。
まわりを操ることも可能なわけだ。

操ることさえできれば、
なんでもできるということだ。

まったくもっておろかである。

世の中はあまりにも頭の悪い人間が多い。
しかしながら逆に尊敬してしまう人間も多い。

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2006年12月11日 (月)

ポジティブ思考とネガティブ思考

僕はある事象に対し、悪いところをみつけ、それを修正するという思考を持っている。

例えば、自分について、ダメだと思うところを抽出し、

それを改善しようという考え方も、

一見向上心がるポジティブ思考に思えるが、

自分のダメだしから入るので、ネガティブ思考といえるらしい。

そもそも批評から入ることがネガティブなんだとさ。

今の日本経済は○○だからダメだとか、

今の自分は○○だからダメだとか、

そうやって駄目なところをみるのは簡単だ。

じゃあどうすればいい?っていうところで、

たいていの人は答えられない。

答えられたとしても、実行にうつせないことが多い。

夕張市の問題でよくニュースにとりあげられてるけど、

結局住民の人は自分の生活が著しく損なわれることに文句しかいっていない。

それで市のせいにしているようにしか僕にはみえない。

具体的にどうやって改善するのか?というところまで、討論されているのだろうか?

まぁあんな無意味な遊園地とか作ったのは市の問題だけどね。

ようするに、基本人間は、ネガティブシンキングなわけですよ。

自分も含めてね。

それに対して、ポジティブシンキングな人。

そもそも「アレがダメだ」という思考がないらしい。

ただ単純に、

「コレやろうよ」

「ああしようよ」

とものすごく思考が単純らしい。

結果だめだったらだめだったで、はじめる前からダメだったときなどのことを考えない。

もちろんそれはかなりのリスクがともなわれる。

それに空想的すぎて、具体化していくのが結構不得意な人が多いらしい。

そしてネガティブな人とくらべてそういった人間は少ない。

いや、そもそもポジティブとネガティブの2種類で分けられるのではなく、

だれにでもネガティブな一面とポジティブな一面があり、

基本的にはネガティブが基盤となっているのが人間なんだと思う。

どの程度ポジティブへ傾けるかが、人生をどれだけ楽しくするのかなのかもしれない。

ネガティブ=保守的

ポジティブ=革新的

ネガティブ  よくいえば、計画的だが悪く言えばつまらないだろう。

ポジティブ  奇想天外で刺激的。楽しく感じるが、その反面、無計画でリスクがともなう。

要するにバランスじゃね?って結論になるのか?

それでいいのかな・・・

いろんな事柄はすべて過度すぎても足りなすぎてもよくなく、

バランスが重要だとは思うが、

その分特徴がなく、人としての面白みがなくなるような気もする。

まぁ結局は自分次第でどこに位置したいのか決めればいいだけのことか。

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2006年11月18日 (土)

イジメについて考える

さいきん、イジメが原因で自殺する子供たちが多い。

そしてイジメをなくそうという訴えがある。

単刀直入にいうと、僕は「イジメ」はなくそうとしても決してなくならないと思う。

それは僕たちが「人間」である以上、絶対になくならないと思う。

なにも「イジメ」は子供たちの世界だけでなく、
大人たちの中にだってある。

それに「イジメ」は本当にいけないことだろうか?

そりゃあ、自殺をしてしまうまで精神的に人を追い詰めることはゆるされない。

だけど、「イジメ」から学べることはたくさんある。

いや、たくさんあった。

それに精神力もそこそこついた。

僕は人間として一生を生きていく中で、

「イジメ」は幾分か必要だとも思う。

それはイジメがなくならない人間の世界にいきているからだ。

人間は感情を表現できる存在だから。

             *

イジメをなくす。

教育委員会や学校側の対応が悪い。

これを解決しないとイジメはなくならない。

イジメをなくすこと。これは目的だ。

そして学校や教育委員会の体制を変えること。
これは手段であり、数多くある手段の中のひとつにすぎない。

イジメをなくそうと呼びかけている大人たち。

「イジメは絶対にダメだよ」、とか、
「イジメで悩んだら、恥ずかしがらずに相談しよう」とか、
そんな直接的なことを言葉に表現して効果があるのか?

まったくないわけではないだろうけど、
それで解決するぐらいならとっくにイジメで自殺する人間なんていないだろうに。

なんかまったく見当違いのところで論議や対応されているような気がするんだ。

「イジメで悩んだら、恥ずかしがらずに相談しよう」

恥ずかしいという心情がわかっているのなら、
「恥ずかしがらずに」なんて言葉で表現するよりも、
「恥ずかしいとは思わない」または、「自然と子供のほうから話す」ような
仕組みを論議したほうがよっぽど大きな効果が得られると思うんだけど。

「廊下は走ってはいけない」

というようなレベルじゃないでしょう?イジメは。

大人の世界でもある、人間の心理であって複雑なんだから。

なにをしてるんだ?っておもうけど。

なんてえらそうなことを考えてみた。

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2006年11月 7日 (火)

コンセプト

自分自身のイメージするなりたい自分のコンセプトを決めた。

『30代ベンチャー企業の社長』でひとつよろしく。

具体的なイメージとしては、

東京都の物価の高い地区にある高層マンションの上階に住んでいて、
やたらシックな感じのインテリアできめた部屋に住み、
やたら高級そうな最新電化製品(SONYとかAppleとか)がバランスよくならび、
いっちょまえに広いデスクの書斎があったりなんかする。

よくわからないけど高そうなワインとかグラスとか食器棚らへんに並び、
観葉植物なんかがリビングにおかれちゃったりして、
テレビは当然プラズマみたいな。

服装はこれまたシックな感じで白黒のモノトーンベース。

仕事は今旬なWebサービスとかやっちゃってるイメージで。

いちおういっておくが、別に起業宣言ではない。

セブンイレブンのコンセプトは『23歳OLの冷蔵庫』みたいな、
具体的かつ誰にとってもイメージしやすいコンセプトを、
自分自身に化しただけだ。

高貴に、スマートに、独りで強くたくましく、冷静かつ知的に、
生活水準のレベルが極めて高い感じの生活を送りたいというだけのものである。

さぁて、コンセプトを目指して勉強、勉強。

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2006年10月31日 (火)

三無時代 - 無気力・無関心・無責任 -

もはや今の自分が、無気力、無関心、無責任状態であるような気がする。

以前と比べれば、仕事が忙しくもあり、
なんとなく深く物事を考える時間もなくなり、
ブログの内容もかなり浅いものになっている。

まぁあれが良かったのか?というと、そうでもない。

そんでもって、今はそこまで鬱って状態でもない。

いや、今も鬱といえば欝なのかもしれないけれど。

           *

なんかこう、楽しくないというわけではないのかもしれないけれど、
毎日、このままでいいのか?と思いたくなる。

休みの日は基本家で寝ている。

やることがないっていうより、なにかをやろうって思わない。
思ったとしても、行動にうつすことがなく、
ふとんの誘惑に負けてしまう。

            *

それになんだかしらないけれど、
昼間起きているときもなんだか頭がボーっとする。

これは大学入ってからずっとだったりする。

気分的に

「イエ~イ、オレ、さわやかな晴れ晴れしいきぶん~~~~~」

ってことがない。

なんか眠い。

寝ても眠い。

寝なくても眠い。

頭に異常があるのか激しく疑問。

夜は当然眠い、

朝方眼が覚める頃が一番眠い。

昼間独りでいても眠い。

友達といても眠くなるとき多々。

車運転してても眠くなる。(←危険)

独りで買い物、店の中うろうろしてても眠くなる・・・

この眠気は僕の無気力・無関心からくるものなのか?

それとも眠気から無気力・無関心になっているのか?

ただ無責任はどうなんでしょうね・・・

仕事もはかどりません。

想いはあるんだけど、頭の中整理できないんですよ。

計画書とか、企画書とか、そうゆうのまともに作ったことなくて、
どうもうまくまとめあげられない。

会議の場でも、声だけはでるんですけど、
よく言葉が詰まるし、
眼が泳いでしまう・・・

課題は多いなぁ・・・

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2006年10月28日 (土)

最近、週刊誌にはまる

給料も入ったことだし、
iPodかデジタルカメラの購入を考えています、ERASERです。

最近、週刊誌をよく買うようになりました。

毎週火曜日に発刊される週刊スパと
毎週金曜日に発刊される週刊フライデー

あと、毎週木曜日にばらまかれるR25もたま~に読んでます。

普通に面白い。

週刊スパは最近ネットサービスネタが多い。

フライデーは言わなくともわかるように、スキャンダル記事が多い。

次はプレイボーイでも買ってみるつもりである。
そしてL25も結構楽しみである。

ところで、数週間前の週刊スパにこんな記事が。

「好きになれる女がいない男たちの迷宮」

てかこの記事が表紙にあったから、思わず買ったんですよ。
僕、当てはまるから。

内容は・・・というか、意見は・・・。

いちいち気を使って相手に合わせたところで、
それに見合うメリットがないから。

うっわ・・・俺じゃん、コレ。

今週の週刊スパの記事にある『合コン&恋愛 女のひっかけ質問』とか、
R25の「キミのスマートさはもしかしたら勘違いかも!?」とか読むと、
すげぇめんどくせぇ。

ああゆうこたえじゃなきゃイカンとか、こうじゃなきゃイカンとか、
ココがダメとかっていう女性のコメント。

そんなもんの意見を素直にうけとめてたら、気疲れするよ。

でもまぁ・・・・

合コンテクニックとか恋愛テクニックとか、
まぁこうゆうのも駆け引きだからねぇ。

「英雄、色を好む」だっけ?(←なんか間違ってるような気がする)

要するに、エロという快楽を求めて、
いかに女を落すかをその辺の獣みたいに考えて行動していると、
こうゆう駆け引き力能力が高まり、仕事とかに役に立つってやつか。

ある意味シンプルでわかりやすい行動ではあるけど。

う~ん。

アホみたいな獣にはなりたくないけど、
少しはそうゆうことにも頭をまわしてみようかしら・・・。

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2006年10月23日 (月)

美輪明宏の言葉

なんか今テレビでやっています。
美輪明宏の番組が。

『肩書きに振り回されるな』

ここでいう肩書きとは、「親」とか「子供」とか、
「年上」とか「年下」とか、
「先生」とか「生徒」とか、
「先輩」とか「後輩」とか。

僕もこうゆうのにとらわれていまくるような気がする。

僕は「○○」だからこうあるべきだ・・・みたいな。

たしかに『肩書き』というものは重要だと思う。
ずっと遊んでいたけど、今度親になるから落ち着くとか、
『肩書き』によっては、『責任』がどうしてもまとわりつく場合があるから。

しかし『肩書き』に振り回されてはたしかにイカンかもしれない。
『自分を殺す』ことになりかねない。

自分がどんな『肩書き』を背おうことになろうとも、
結局自分も一人の不完全な人間に過ぎないのだから。

『肩書き』にまとわりつく『責任』は確かに存在するけれど、
その『責任』の果たし方は自分にあったものを選べばいいということかな・・・

『黒』と『グレー』は悪魔の色ですか・・・
身に着けるときはアクセサリーとかつけなきゃ風水的にヤヴァイんですか?

じゃ、オレ悪魔ジャン。

風水的にのろわれてたのか・・・

ガーン・・・

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2006年10月16日 (月)

「頭のいい人」はシンプルに生きる

「頭のいい人」はシンプルに生きる―「快適生活」の方法 Book 「頭のいい人」はシンプルに生きる―「快適生活」の方法

著者:ウエイン・W. ダイアー
販売元:三笠書房
Amazon.co.jpで詳細を確認する

インターネットが使えない間、この本を読んだ。

病んだ人にはおすすめ。

書いてあることはあまりにも突拍子もないという内容もあるが、
病んだ人にはちょうどいいかもしれない。

             *

過去記事にいろいろ書いてきたけれど、
所詮僕が考えてきたことはどう考えても答えがでないものにすぎない。

そして、自分も他人も、
自分以外の心の奥なんて結局分かりはしない。

分かるわけがない。

それが事実。

どんなに他人の顔色をうかがったところで、
100%分かるはずがない。
理解できるはずがない。

だから、相手のことを真剣に考えたところで、
数%は確実に自分よがりの自己満足に終わってしまう。

他人の顔をうかがって、自分自身が嫌われないよう、
相手に好かれるようにしたところで、
それは『つもり』でしかなく、
ただ無駄に自分を作り上げているにすぎない。

他人によく思われるように努力し、
心をすり減らしてまで偽り自分のを作り上げても、
どうせ100%思い通りにいくわけではないのであれば、
他人の目を気にせず、自分自身を貫き通したほうがラクである。

どちらにしろ100%なんて無理なのだから。

本来の自分に賛同するものもいれば、反対するものもいる。
作り上げた自分に賛同するものもいれば、反対するものもいる。

結局同じことなのだ。

          *

僕はこの本に書かれているように、
いろんな人や事象に対して、
自分自身を犠牲にしていただけなのかもしれない。

どんなに考えて悩んだところで、
どんなに自分をすり減らしてまで力を注いだって、
所詮完璧な神にはなれない不完全な人間であるのだから、
それを認めてしまって、
シンプルに自分らしい生き方をすればいいだけなのかもしれない。

結局考えに考えて出した答えが、コレだ。

オレは自由に生きる。

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2006年10月11日 (水)

常識知らずなボク。大人になれないボク。

今日は朝からひっこし。

てか席替え。

普通につかれた。

話はかわるが、もうちょっと言葉遣いとか気をつけよう。

普通に怒られてもおかしくないような気がする。

今日なんか、執行役員が設定に困っていて、

変わりにやります、いうたら、

「まぁ座ってやりな」と肩までさわられちゃったわけで。

最初は「いえ、大丈夫です」と断ってたけど、

「いいから、いいから」と言われ、

すわっちゃったよ。

座ったらアカンよな。やっぱ。

部長が神妙な顔つきでみてきたし。

やっぱ常識知らずやな、自分。

そうとう、ガキだと回りは思ってるだろう。

まぁずっとこんな感じで生きてきたから、

よくわからないんだよなぁ。ルールってやつを。

ずっと自由に生きてきたから。

自分が偉くなったとしても、別に敬語とかそんな使わなくてもいいし、って感じだし。

大人の遠まわしな言い方ってめんどくさいんだよなぁ。

あと、元上司にも、
「ERASERさんのこと、○○さんがえらい褒めてたよ」と言ってきたので、
「そんなおだててもなんもでてきませんよ~」って答えたら、
「その性格なおさなきゃアカン」言われたし。

ああ、やべ。

まだ学生気分が抜けないわ~。

アカンわ~。

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2006年9月28日 (木)

最大の敵

僕にとって最大の敵。

それは僕自身の心の中にある『恐怖心』ではなかろうか。

そして『僕』という存在は、この恐怖心にその大半を支配されて、自己犠牲してしまっているのではないだろうか。

僕は無意識のうちに、いろんな事柄にたいして恐怖してる。

人にどう思われるかということとか、
人との新たな出会いとか、

ああなりたいけど、それができないと思っているけれど、
本当はそうではなくて、
自分が『なりたい』事象に対して、
経験ややったことがないから、
どうゆうふうに自分にマイナスに返ってくるのかが、
たぶん恐いんだ。

そして僕は『慣性の法則』の中にいる。

恐怖から逃げているからだ。

恐怖から背をそむければ、楽でいられる。

だがその分、慣性の中に生きているため、
変化がなく、飽きが来る。

恐怖に打ち勝つ心。

それは『勇気』だ。

そして『勇気』とは、いままで僕が述べてきた信念や、自信なんだと思う。

僕は「マイナス」を減らすことだけを考えてきた。

僕は人から嫌われたくないのではなく、人から好かれたいんだ。

マイナスを減らすことじゃなくて、
プラス方向への絶対値を大きくすることが必要なんだ。

考え方は100人の人間がいれば100通りの考えがある。

100人から嫌われない存在になるのではなく、
100人のうち数人からかなり好かれるようになればいいのだ。

自分を嫌いなやつはまた別途違うアプローチをすればいい。

100人全員の顔色をうかがうことは、ひとつの体では荷が重過ぎる。

嫌われようが貫き通せる自信。

つまり勇気。

自分がどうなりたいか、
自分がどう生きたいか、
自分が何をしたいのか、
それをハッキリさせ、自分自身を納得させ、
そして自分に暗示をかけなければならない。

論理からも感情からも、対局する双方向から・・・。

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2006年9月21日 (木)

信念とコミュニケーションにおける欲求

昨日、『信念』は自己中心的な考えでいい、みたいなことを書いたが、
別に自分自身が自己中心的になれといっているわけではない

『信念』はあくまで自分のなかに抑えておくものなのだ。
自分の『信念』や価値観を相手に押し付けるのは、単なる自己中心である。

『信念』は自分がどう生きたいのかという、方向性なのだ。
だから、『正しい』ともいえるし、『正しくない』とも言える。

不完全なものが『信念』であり、
そんなものを他人に押し付けるのは、厳禁である。

『信念』は自分でみいだした、自分のためのものであり、
すべての人間に共通することではない。

            * 

人とコミュニケーションをとるということは、
自分が話し手になること、そして聞き手にもなるというバランスが重要だ。
そして、相手に対して、ギブしてテイクすることで、
お互いのことを知っていき、理解を深め、仲を深める。

これは当然のことといえば当然のことで、
間違ってはいないと思うし、納得もいく。

これがコミュニケーションの本質だろう。

相手のことを深く知るためには、
相手に自分のことを話してもらわねばならない。
そのために自分のことも話す。

だ・か・ら、
「まず自分のことを話し、そして相手に質問をぶつけてみる」、
「相手に質問し、自分のことを言う」、

これが『信念』や『考え』という人もいることだろう。

しかしこれはコミュニケーションの本質を実現する手段である。

だが、
「俺はここまで話したんだから、お前も話せ」
というのは正しいとはいいきれず、僕はイカンと思う。

よくカップルとかで、
「お互い隠し事はなしにしよう」とか、
「何でも言い合える仲になろう」とかあるけれど、
これはそもそも違うと考える。
仲が良くても礼儀はあり、ではないか。

A君とB君がいるとしよう。

A君はB君に対して、5段階中4段階ぐらいまで仲が良いと考えていたとする。
だからA君はB君に、今気になる女性の話しなど、
結構具体的な相談や話しをする。
でもB君からしてみたら、もしかしたらA君に対して5段階中2段階までしか
心をおけていないのかもしれない。

だから、A君は自分のことを話したんだから、お前のことを教えろと、
強制することはよくない。
B君にとって苦痛のなにものでもない。
A君はそんなつもりはないかもしれないが、
B君は自らA君から身を引くかもしれない。
ますます距離が開くかもしれない。
そのことを考える必要がある。

いや、仮に、A君もB君もお互い5段階中4段階の仲のよさだと認識していたとしよう。
でも、好きな女性についてという話題に関して言えば、
A君は4段階で話せたとしても、B君は5段階じゃないと話せないかもしれない。

理由はさまざまだ。
B君はA君よりプライドが高いとか、恥ずかしがりやな性格なだけかもしれない。

これが、自分と自分以外の人との価値観の違いである。

相手のことを深く知るためには、
相手に自分のことを話してもらわねばならない。
そのために自分のことも話す。

ギブ&テイク。

これは間違っていないが、
自分は話したんだから、相手も話せ、
自分はこれだけギブしたんだから、
お前も同じだけギブしろ。
じゃないとコミュニケーションじゃないだろ。

という考えは、コミュニケーションなんかじゃない。

自分の価値観に、相手に押し付け、引きずりこんでいるだけだ。

相手を、もっともらしい言葉で尊重しているようで、
本質は尊重どころか、否定している。

相手を知ろうとしているようで、それが成されていない

「俺はお前を理解しようとしているんだ。
でもお前は何も語ろうとしない。
語ってくれなきゃわからないだろ?話してくれよ!」

これも同じことだ。
相手が話したくないことを、ムリに話させようとしている。

自分にとっては対したことのない事柄かもしれないけど、
相手はそうでないかもしれない。

           *

じゃあ具体的にどうすりゃいいの?ってことになるが、

こうゆうことを考え、
「強制的ではなく、相手が自ら話してしまうような環境を構築する」ことが、
コミュニケーション力だと思う。

いかに相手に不快感やストレスを感じさせることなく、
相手の本質を引き出すか

             *

今度はC君、D君、E君、F君という、
お互いまったく知らない人通しが集まったとしよう。

そして、「勤めている会社はどこか?」という話題になったとする。

C君とD君は誰もが知っているような一流企業に勤めていて、
E君、F君はまったく無名の小さな会社に勤めているとする。

C君「僕は○○会社に勤めているよ」

とハッキリ会社名を出して終わらせる。

D君「僕は○○系の仕事をやっています」

と会社名は出さず、はぐらかして業種で答える。

C君とD君は同じ環境なのに答え方が違う。

C君は誰もが瞬時に理解できるだろうし、
質問に対して的確に答えるべきと判断したからこう答えたのかもしれない。

それに対してD君は、
自慢になるかもしれないと、
あえて謙虚に会社名を控えて答えたのかもしれない。

E君「○○って会社っていって、△△系の仕事だよ」

F君「一応、△△系の仕事してます」

この場合、F君はE君と比べて、
会社名を述べたところで、みんな分からないだろうからと、
相手に対して気をまわしたのかもしれない。

同じ質問でも、十人十色な返答で、
質問に対してハッキリ答える場合も、ちょっとはぐらかして答えた場合も、
人それぞれのいろんな理由から答えていたりする。

仮に相手が質問に対して
答えたくなさそうな態度や、はぐらかした答え方をしたとしても、
そこにはその人のその人自身の理由があるということを忘れてはならない。

自分はハッキリ答えられる質問でも、
自分以外はそうでないことだってあるのだ。

           *

僕はむやみやたらに出会いを求めたりするよりかは、
数少ない出会いの中で、相手とより深い関係を築くために、
コミュニケーションの本質に適合した、
高度なコミュニケーション技術
を身につけたい

そしてそれは時間が要するので、
なかなかむずかしかったりもするが。

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遅れましたがコメント返信です

やしゅぞうさん

コメントありがとうございます。

少し遅れましたが返答させていただこうかと思います。

まず、いったい僕のどの記事を読んで、最初から読む気になったのか、
ちょっと気になる次第であります。

僕の知り合いでも何人か読んでいるようですが、
根気よく最初から読んでいる人はそうはいないような気がするので。

ただ、最初から目を通していただいたことはちょっと驚きとともに嬉しく思います。

また、この「ヘタレの生きる道」はもともとライブドアブログで書いていて、
現在こちらに移行中です。
そのため、数ヶ月の空きがあります。

さっさと移行すればいいのですが、単調作業で結構面倒くさく、
サボっておる次第であります。

                *

>事象そのものを「単純」に「そうなんや~」って感じで見れない

これは『事象』の内容によってそうであったり、そうでなかったりします。
単純に「そうなんや~」って思ったことをただブログに書いていないから、
そう感じた部分もあるかと思います。

そして、単純に受け入れられない事象があることは事実で、
それは僕の価値観で判断したもので、
その価値観自身も所詮奇麗事のような気がするなどの、
事実と価値観のギャップや、差にやられている部分もあります。

漫画のNANAがやたら女性にはやっていますが、
あんなもん、まったく理解できないし、
あれが女性の心を写している、女の子を描いているというなれば、
めちゃめちゃ浅はかに感じたりします。
てか、普段口にしていることと矛盾してるぞ?と。
特に歌を歌ってない方の、女の子~って感じのする方のNANAをみていると、
普通に腹立ってくる・・・。

なんかおかしな例ですが、今リアルタイムでアニメがはじまったので・・・

しかしながら、それが僕の心の病の一番の原因とは思っておりません。
それも『一つ』であることは確かなのですが。

            *

価値観とかの複雑な話しではなく、もっと単純な話しで、
かなり抽象的に言えば、
なりたいけどなれない、
なりたいけどなりかたがわからない、
なぜ自分はこんな当たり前なことができないのか?
当たり前なことを成しえていないのか?
などといった、自分自身に対する
焦りや嫌悪感からくるものなんだと思っています。

頭では分かっていても、そうなれない自分が・・・・ということです。

例えば、その事象が飲みで騒ぐことであったり、
恋愛であったり、仕事であったり、普通の会話であったり、
周りとの協力であったりなどです。

こんな当たり前で周りの人々が普通にやっていることを、
どこか冷めた目でみてたり、どこか一歩引いている自分がいたり、
そんな自分を周りと溶け込めていないのではないかと、孤独感に陥ったりと。

そして、そんな自分はただ生かされているだけに感じ、
そんな自分にむなしさを感じます。

人間関係の築き方がヘタクソなことが僕の永遠のテーマかもしれません。

            *

「久しぶりの心の底から楽しんだ」というのは、
このときは心を許せたからなのか何なのか知りませんが、
冷めた目でみることなく、本当に溶け込めたと感じたからです。

今までできなかったことが普通にできたことを感じ取り、
ある意味自分の自信につながったということです。

それが一つの光明の一部だったりします。

             *

「浮き沈みが激しい」ことはその通りで、
自分でもそれは感じており、浅はかだと感じているときもあります。

また、浮き沈みも、今まではどちらかというと、
空元気ってやつで、本来の問題点はまったく解決されていなく、
無意味なものだと感じております。

             *

ちなみに精神科ですが、たしかに行ったほうがいいのかもしれません。
ただ、行くこと自体がすんげぇ面倒だったりします。金もかかるし。
別に行くことに偏見は持っておりません。

            *

ごんさん

TBどうもありがとう。
ブログ読みました。

ただ今の僕にはどうもピンときませんでした。

プラス思考、ポジティブシンキングは確かにいいことですし、
人生は見方によってかわるのは正しいことです。

しかしそれはもうすでに自分でわかっていますし、理解しています。
僕にそうゆう友人もたくさんいるので、多くの人はわかっていることと思います。

上記にもあるように、頭ではわかっていても、
それができない状態であるわけです。

いやむしろ、ポジティブになろうと努力することが、
また新たなストレスを生むということでしょうか。

趣味がない、興味を持てない。。。
だからどうにかここから脱しようと、
実際にいろいろと行動には移してみましたが、
かえっていい結果にはならなかった。

今では、ポジティブな思考にムリに変えるよりも、
『人の目を気にしない何か』が一番だと思っています。

悪い言い方をすれば、『自己中心的な考え』というやつです。

『俺はこう思うからこうなんだ』という、ものすごく単純、だけど、
自分自身の存在を認め、貫き通せるもの。

これこそが『信念』であり、『信念』の本質は、そこにあると思います。
『信念』は『自己中心的な考え方』から成る。

人によってはたまたま、
「人を気遣う」とか、「周りと多く接する」とかという、
自己中心的なものとは反するような、
協調性を基準とする「信念」かもしれません。

また、ごんさんのいう、
「否定的なことを言わない」とか、
「愚痴は言わない」とか、
「悪口は言わない」とかは、自分も過去に思っておりましたが、
これは信念というよりも、
自分をより良い方向へ向上させるために、
自分自身で付けた『枷』のような気がします。
自分自身で決めた『決まり』というか。

「否定的なことを言わない」とか、
「愚痴は言わない」とか、
「悪口は言わない」ということを考えるということは、
たぶんそうゆうところが自分自身にあるのでしょう。

逆に言うと、コレってストレスの原因になったりもします。

心がけることは重要ですが、あまり気にしすぎると、
僕のようにいずれ破滅します。

いやむしろ、
『愚痴』も『否定的な発言』も、『悪口』もするから、
人間なんだと思います。

一見マイナスですが、こうゆうことも
人間らしさ、人間性なんだと思います。

         *

過去に同じことを考えた僕の意見であり、
人によっては肯定的で正しかったり、
否定的で間違っていたりすると思いますが、
少し考えてみてはいかがでしょうか。

         *

ああ、この記事書くだけで2時間以上かかったわ・・・
TV観ながらだけど・・・

本当はまだ書きたいことあるんですが、
とりあえずもう寝よっと。

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2006年9月18日 (月)

感謝する

昨日、よる酒を飲んだわけだが。

一緒に飲んだのは中学のときの同級生。

二人ほど超久しぶりに会った。

酒の席のあとはカラオケ。

あそこまでシャウトしたのははじめてかも・・・・

てかグダグダで、歌になっていなかったがどうでもよかった。

もはや歌がヘタとかどうでもよかった。

久しぶりの心の底から楽しんだ。

精神的にマジ病んでいた状態で、
すべてのものに対して面白さを感じず、興味もわかない状態だった。

そしてそんな自分自身に対して、
どうにかしなきゃ、どうにかしなきゃとあせっていた。

今、ニュースで吉野家の牛丼特集やっているが、
もし、病んでいる状態の僕であったら、
よくもまぁ牛丼ごときでここまで熱くなって、
前日から並ぶもんだと、馬鹿にしていたかもしれない。
無駄だ、無駄。何が楽しくてこんなことしているんだ?と。

まぁ今も吉野家に関していえば、そう感じるけどさ・・・・

でもまぁ、そんな状態で、自分自身を責め、
そんな自分から脱しようと、
なんか普段読まないようなファッション雑誌を大量に買ってきたり、
情報誌を買ってきたり、
目的もなく車に乗ったり、
独りで養老渓谷にいって、周りの人に変な目で見られたりしてみたりしたけど。

結局普段やらないこと、やりたいと特別に思わないことを無理にしても、
結局自分自身は変わらず、

自責の念に駆られ、

ストレスを解消するために自分をムリに振るい出した行動そのものが、
また新たなストレスを生んでいた。

だが、昨日一日の出来事の中で、
なにかがはじけたらしい。

もはや僕のイメージなんてどうでもよくなった。

そしてまた、同級生と話しをすることで、
深い闇から抜け出す一つの光明を見出すことができた。

いつか僕が強く生き、なにかを極められたと自分で判断したとき、
俺は必ずみんなに恩返しをする。

ありがとう。

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正しいとか間違ってるとか

世の中に存在する無限ともいえるあらゆる事象に対して、

『正しい』とか『間違ってる』とかっていうのは、

所詮、今を生きる人間たちが作り出した産物にすぎない。

世の中は複雑で、完全なる正しいなんてものは存在しない。

人のモノを盗むとか、人を殺すとかっていう悪も、
その国のその時のその環境によって人間が生み出した、
法というなのルールがあるから存在する。

もしかしたら、人のモノを盗むとか、人を殺すっていうことも、
肯定されることだってありうるわけだ。

60年強以前の日本はそうだった。

法が完璧なルールとはいえない。

        *

人一人の存在や在り方は複雑だ。

人生は自分自身で選択していく自由がある。
自分一人だけではなく、周りの人間もすべて。

そして法のように万人に共通な指標たるルールがない。

だからいろんな人間から判断される。

ある人間は正しいと感じ、ある人間は間違いだと感じる。

自分自身の生き方を決めるには、
自分自身における『正しさ』が必要だ。

それが信念であり、自分自身の答えなのだろう。

その信念も答えも、完璧ではない。

だから人間は不完全である。

人間すべては不完全であることを、
僕は改めて認めなければならない。

この世に存在するすべての人間の顔色を伺うから
弱気になる。

そして自分で自分を否定し、深みにはまる。

複雑な事象に負けてしまう。

たとえ周りの何人かの人間に間違っていると否定されようとも、
自分自身が『正しい』と信じ続け、最後まで貫き通せる『信念』『生き様』『未来』。

僕は今まで自分以外の人間に「間違っている」と判断されることが、
怖く、恐ろしく、逃げていたのだろう。

それは僕には『正しい』と信じられるものがないからかもしれない。

             *

複雑なことを複雑に考えても仕方がない。

複雑で、完璧なんてものがないからこそ、

誰にとっても分かりやすくシンプルなものが重要なのかもしれない。

俺は誰かになんと言われ、どう判断され、いかに嫌われようとも、
自分を最後まで貫き通せるシンプルな『自分にとっての正しさ』を見つける。

いや、本当は見つかっているのかもしれない。

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2006年9月11日 (月)

怖いくらいわかる「男の性格」診断2

あれから、('∞')y─┛~~ 君、面白さが足りないよ』

に決定しました。

今日は上司が会社を休んだので、明日聞いてみます。
一応、ブログ自体は立ち上げ、
上司と右となりの人と、ブログ管理者のみ閲覧できるようにしてあります。

んで昨日の続きなわけだが。

怖いくらいわかる「男の性格」診断1』の続きね。

6.「そうそう」「だよね」 - ホントはぜんぶ「上の空」

こうゆう人は一見オープンだが、本当はなかなか本心をみせない。

超そのとおり。
なんだかんだで聞いていません。
噂によると、左利きの人は雑音とかが混じるだけで声を聞き取れないけど、
遠くの声などを聞くとることができるのだそうです。

コレ、かなり図星です。

周りの方、気をつけてください。僕、上の空なので。

7.笑いが消えて、突然真顔に - そろそろ帰りたい -

マイペースな男性で、何よりも自分の価値観を大切に守る、自己顕示欲が強い人。

↑自己顕示欲というところがムカっとくるけど、その通りだと思う。

8.上からモノを言う - 本当は対等でいたいのに・・・ -

プライドが高く、完全主義。自他ともに厳しい人が多い。

そうなんです。本当は同じフィールドにたって仲良くしたいのですが、
なかなかできない。

そしていずれ、人から恨まれ、嫌われる・・・・

異性の友達はいなく、友だちが少ないのもこうゆう性格のタメでしょう。

9.話しながら物をいじる - 自分の評価は何点 -

こうゆうとき、なにがしか緊張感を強いれられている。
心にゆとりがなく、相手の話に相槌ちを打ってはいても、実は話しを聞いていない。

また、こうゆう男性は女性のためというよりも、自分の立場のために、
「次はどう答えよう、次はどこに行こう」と考えている。

自己顕示欲が強い人にみられる。

そうかもしれない・・・
結局僕は相手よりも、相手が自分に持つ印象ばかりを気にしている・・・
僕が過去にこのブログ内で「人を本当に好きになったことがない」というのは、
こうゆうことを自分でも気付いているからだと思う。

10.生返事ばかり - 自己中心的な一匹狼タイプ

「ああ」「ウン」「そうだね」といった、気のない返事ばかり。
こうゆう人は自己中心的で、人に縛られるのが苦手。
自分で計画を立てて、一人で実行するタイプ。

・・・・だんだん自分がどうゆう人間で、愚かなのか分かってきた・・・
今まで人があまりよりつかなかったのは、
やっぱり自分に原因があったんだなぁ・・・と感じる。

でも、自分から歩み寄って、どこかに誘ってもドタキャンされたり、
随分先の日程で計画して誘っても、「そのときにならなきゃわからない」で
結局「行けない」って言われる。

もうめんどくさいんだよね。

いちいち誘っても無駄だと思っちゃう。

てかコレって僕が周りに嫌われてるだけじゃん。

11.ノリが悪い人ほど、深い付き合いができる

みんなでワイワイ楽しんでるのに、極端にノリが悪く、一人表情が暗い男性は、
もともと友達が少なく、表現力に乏しいタイプだろう。
ただし、幼い頃からこの人だけは、という友達が一人、二人はいたりする。
その友達とは太く長く付き合っていけ、彼にとって家族のようなもの。

とっつきにくいが基本的にはマジメで、普通にカップルになって親密な関係を築ければ、
心を開いて他の人には見せない本心を表す。

ノリが悪いように見えても、表情に笑みがみられる男性は、
単に女性とのコミュニケーションに慣れておらず、戸惑っているだけ。
男友達とは話しても、女性とは話さないのが特徴。
遊びもほどほどに知っていて、同性に人気がある男性は、
実はやさしく、面白みがある。

男友達に人気はあるか知らんけど、かなり図星。

今の女性って、好きなタイプは?って聞くと、
そろいもそろって「面白い人」というが、
ほとんどの人はその面白さを上辺だけで判断していると思う。

よく痛い目をみる人は、上辺だけで判断してるから痛い目みるんだ。

今の女性って、男性にケチつけている人が多いけど、
自分たちも男を見る目がないことにいい加減気づいたほうがいいと思う。

↑もちろん女性全員にいっているわけではないし、
自分が面白い男だといっているわけではない。
事実、僕がそう思うような女性が多い。

12.誰かが話しているときの目線で分かる、彼の「マイペース」度

相槌ちだけは打っているが、視線はあまり合わせず、
無表情で実はあまり話を聞いていない人がいる。

自己顕示欲が強く、自分が主導権を握るチャンスは今か今かとうかがっている。

伺ってはいないけど、その通りだと思う。まさしく僕だ。

13.レシートを取っておく人、丸めて捨てる人

買い物をしたとき、つり銭とレシートをろくに確認もせずに
無造作にポケットに突っ込んでしまう男性は、
ラフで細かいことは気にしない大らかな人だ。

レシートイラね。邪魔。

14.箸を正しく持てない - 千人を敵に回しても自分の意見を通す -

箸を正しく持てない人は、自分のことも他人のことも細かいことにこだわらない。
ところが注意や意見をされることが嫌い。

僕は箸を正しく持てないし、その通りの人間だ。

ただ、箸を正しく持てないことが関係あるのかわからない。
なぜなら僕の家族はみんな正しく持てず、
誰も僕の箸を矯正しようとはしなかった。
自分たちができないのに子供にしても・・・ってのがあったらしい。

そして僕はいちいち細かいとこで注意されるとキレます。
とくにどっちでもいいようなどうでもいいようなことに。

お店の出口に行くのに、どのルートで行こうが同じ事なのに、
「こっち」とか言われるだけでちょっとヤダもん。

たま~に出かける前に、親に「糸くずがついてる」と止められるだけで、
なんかムカツクし。

15.メールの返事が早い人、遅い人

遅い人はマイペースで面倒くさがりや。
集中力を必要とする仕事に就いている人が多い。
仕事に取り掛かると没頭してしまうため、メールが返ってこない。

↑なるほど。
集中力が必要な仕事なのかわからないけど、
なにかに没頭しているときにチャチャ入れられることは最も嫌いです。

元バイトでも、人が洗い物しているときに、
マネージャーから「チキン作って」いわれると、
めちゃくちゃイライラしてた。

最近でも、せっかく集中してきたときに、
電話が鳴ると腹が立つ。

以前は電話に出ることが単にイヤだったが、
今は別の意味でイヤだ。

これほどウザイものはない。

16.B型 - こだわりと集中力の高さはダントツ -

他人から理解されにくい存在

きたよきたよ、B型。
どうせ『B型・長男・一人っ子・左利き』ですよ。

以上

------------------------------------------------------------

まとめると僕は、
『自己顕示欲が強くて友達がいなく、女性経験がない』
ということらしい。

良い言い方をすれば、『自由に生きる人間』ということか。

何ものにも縛られず、
自由に生きることが僕のポリシーなのでそれはそれでいいけど、
やっぱり孤独は寂しいので、どこか直せるところは直したい。

この本の著者だが、「昔から人が好きでよく観察していた」とあるが、
本当に「人が好き」なのだろうか。

少し「人を馬鹿にしている」ような感じもある。
正直合っていると思えば、そうでないところもある。

しかし、上記にも記載したが、他の女性と比べると、男性を見る目はあると思う。
そして理解している。

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2006年9月10日 (日)

眠れない・・・

よっぽど疲れていたのだろうか・・・

午前中はバクスイ状態でした。

今週は本当に長く感じた一週間だった。

今日、というか昨日の夜、品川に飲みに行きました。

大学の頃、同じ研究室だったN君と二人で。

そこそこ元気そうでした。

あんまり東京地区というか、夜とかもいかないので、
ちょっと新鮮でした。

居酒屋にはいり、二人でカウンターに腰かけて飲んでました。

料理を写真にとってブログにしようかと思ったのですが、
N君に
「そりゃないわ~」
言われました。

女性と二人できたときにそれやったら冷めちゃうよ、言われた。

そうかなぁ・・・・

べつにどうでも良くないか?

よくわからんけど。

話はだいぶかわりますが、

今までの自分を振り返ってみて、
なんとなく思いました。

人によく思われたいという考えなのか、
ものすごく些細なことを気にしたり、
ダメだと自分を卑下したり、
反省したり・・・・

いったいボクは何を目指しているんだろう。

ボクは『一流』になるといい続けてきたけど、
本当はボクは、『完璧』な存在になろうとしてたのではないだろうか。

誰からもあんまり悪く思われたくない、
できれば良く思われたい。

仕事ができない、
仕事をするスピードが遅い、
空回り・・・
どうにかしないと、どうにかしないと・・・

ボクは『完璧』を目指し、どんな些細なことでも、
自分にとってマイナスなものは許さない。
自分に妥協せず、厳しく。

でもそれもまた空回りであって、
本当は自分自身を護るというか、逃げていただけなのではなかろうか。

完璧でない自分を認めたくないという。

そして完璧を目指すからこそ、
やたら悩んでいたのではなかろうか。

この世の在り方、人間の在り方、心理、行動・・・
ものすごく複雑で、答えは無い世界である。

そしてどうすればいいのかわからない。

考えれば考えるほどわからなくなる。

何をどうやって生きていけばいいのか、
何が正しいのか・・・

今まで、これはこうだ、こうしよう、これを目指すみたいなことを、
ブログに書いてきたけど、
結局それも自分の周りで起きた出来事や、
自分の不完全さをどう処理するのか、
そしてなにが正しいとか正しくないとか、
結局わからなく、わからないからこそ、なにか一つの指標をたて、
それに従っただけなのではなかろうか。

世の中『正しい』なんてない。
あるとすれば、それは自分自身の今までの人生と、価値観によって編成される。
その自分で作った『正しい』を信じて生きるしかない。

宗教とかってものは、ボクと同じような複雑な世界に陥り、
どうすればいいのか、なにを信じればいいのか、
なにが正しいのかわからなくなった人間が生み出したもの。

人間は万人に受け入れられたいと考え、『完璧』を目指す。

しかしそれはできない。

人間は永遠に不完全なんだ。

人間は完璧になれない存在なんだ。

『完璧』な存在というのは、『神』であるということだ。

『完璧』になったとしたら、それはもう人間ではない。

もうボクは、現実から逃げることはやめる。

複雑で所詮答えがでないことをより複雑に考えることはやめる。

シンプルに生きる。

人の目とかよりも、

今まで生きてきた人生の中で見出した、
価値観と感情と経験と知識を頼りに、
シンプルに方向性を見出し、
それを信じ続け貫き通す。

ボクは自由に生きる。

誰にも干渉されない。

ボクは自由に生き、自分自身を信じる。

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2006年9月 3日 (日)

好きと嫌いは紙一重

アナタは過去に好きになった人の中で、
好きから嫌いになってしまったことってありませんか?

もしくは、いつの間にか好きじゃなくなっていた、とか。

よく、相手のどうゆう行動で、一気に冷めてしまいますか?という質問ありますよね。
今回はそういったものを省いてください。
また、長期間会っていなかった、関わっていなかったというのも省いてください。

あと、別に恋愛じゃなくても良いです。
同性の友達とかでも全然かまいません。
ただ恋愛を思い浮かべたほうが分かりやすいと思います。

いつのまにか好きじゃなくなった、
なんであんな人を好きになってたんだろう?

そうゆうケースを題材にします。
(とりあえず最後まで読んでからご自分で判断したり、思い返したりしてみてください)

          *

人間は、人や物に対して無意識に比較し選択したり、
自分の価値観を元に判断・評価したりします。

好きか嫌いかを判断するのに、
自分の価値観が元となる『理由』がそこに存在します。

「かっこいい」とか「かわいい」とか、
「話が面白い」とか「一緒にいて楽しい」とか、
「優しい」とか「笑顔が素敵」とかね。

だから『好き』みたいなね。

そう判断すると、自分から積極的に相手に近づきますよね。
恥ずかしくて想いを伝えられなくても、
それでも一緒に遊んだり、話したり・・・とか。

そしてその頃ってとっても楽しいですよね。
面白くてとても充実する。

一度、『好きだ』って言い切るような形で自分に言い聞かせると、
しばらくの間はもう何もかもが、良い評価・判断をするようになります

でも、人間の『好き』ってある一定の期間や、
なにかの事象が起こると、
『好き』っていう感情が少しずつ溶けていくんだと思うのです。

どうゆうことかっていうと、
その人を好きになった理由の部分、つまり
「かわいい」「かっこいい」「面白い」「優しい」といった部分が、
だんだん、少しずつ少しずつ、
自分にとって『当たり前』のようになってきて、
その『好き』になった理由が『溶けていく』からです。

相手に対する『ドキドキ感』といえばわかりやすいと思います。

好きだった人が、別に嫌いになったわけじゃないけど、
好きなのかよくわからなくなった、ってなる。

そうなると、今まで無意識に何でもかんでも良い評価をしてたけど、
良い評価ができなくなってしまう

そして、あるちょっとしたきっかけや事象で、
「アレ?この人ってこんな人だっけ?」と判断し始め、
嫌いになってしまう。

           *

自分も相手も人間であって不完全な生物であることを忘れないで欲しい。

もし、「ドキドキ感」がなくなったり、
「好きかどうかわからなくなった」ってことがあったら、
どうか今一度、最初に『好き』と判断した理由、
そして数々の想い出を思い返して欲しい。

そして、仮に好きじゃなくなっても、
やっぱりそのことを想い出して欲しい。

今別の人を好きになったとしても、
そのことを想い出して欲しい。

一度好きになった相手を、嫌いだって思い始めたら、寂しいよ

現在はそうでなくても、過去は少なくとも楽しいことがあったハズ。

            *

『好きだ』、『嫌いだ』って決め付けてしまうのは簡単です。

もちろん『好き』って感情は素晴らしいことなので、
それはいいことだと思います。

でも、『嫌い』って決め付けるのはよくないよね。

確かに『嫌い』も、そう思う理由はあると思うけど、
『嫌い』って言い切ると、もうその人とはそれまでなんだと思う。

          *

約1年ぐらい前のことと、ここ数日間の自分のことを振り返ってみて、
そう思いました。

約1年前、別に自分の『恋愛』とはまったく関係ないけど、
僕はある人たちのおかげで充実してたのは間違いない。

ある人、ある人たちは、僕にとって唯一話しやすい人、人たちでした。
それを忘れていました。

          *

『決め付ける』と、そのことに対してかなりの『パワー』が発すると思います

『信じる心』、『信念』もそうでしょう。

宗教とかなんてすごいですよね。

この『決め付ける』というのは、
『好き』などといったポジティブな部分に適用するならものすごく、
いい方向に作用するけど、
『嫌い』のように少しでも『ネガティブ』な方向に向くと、
悪い作用が起こります。

また、自分では『ネガティブ』じゃないと感じていても、
実は『ネガティブ』な部分が含まれている部分があります。

きちんと考えて使わないといけませんね。

          *

「人数が多いと気を使うし、あんま話せなくなるから少数の方がいい」
ってよく僕は言いますが、
これなんかものすごくネガティブ要素が入っておりますね。

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2006年8月31日 (木)

マーケティング研修2日目

マーケティング研修二日目。

今日もグループワークがあって、その反省をします。

今日はどのグループも、まぁこんなもんかという印象でした。
そもそも2時間っていうのがムリがあるので、しょうがないです。

今日は、グループ内容に対しての反省などではなく、
グループ内で行動した自分自身の反省をしようと思う。

他人を評価するほど僕は偉くないし、
他人を評価するというものは、
結局自分の主観で感覚的なので、相手を評価しているだけで意味をなさない。

結局自分が成長しなきゃ意味がないわけで。

で、今日の自分を自分なりにダメ出しし、
そこから具体的な注意点、改善点を考える。

            *

今日の自分のダメ出し。とくにひどかったもの

熱くなりすぎ』 → 自分の意見をしゃべる時間が長すぎだったから

熱くなると、相手の意見や考えを引き出すことができなくなる。
どんなに自分の意見が論理的で説明がいいとしても、
必ずしもそれが良いというわけではない。
少なくとも感情的になってオラオラと相手を丸め込むよりマシだが、
コミュニケーションが取れていない
グループワークとしてなりたたない。

自分の意見が一番正しいという状態に入り、
自分自身の視野もまた狭くなる。

対処法 … 相手が自分の意見に対して質問などがある場合以外は、
        無駄に相手の意見に対して反論しない。
        でいればむしろ良いと言ってあげる、認めてあげることが重要。

        自分の意見に対しての反論が出た場合、すぐに答えない。
        いったん言わしとく。
        そこばかりの討論になってしまい、無駄な時間を使うことになる。
        目的を忘れてはならない。

対処法から導き出す、自分自身に言い聞かせること

『相手を認めるよう努めること』

今回僕はこの議題をあげられたとき、
自分で答え出して黙っていようと、内心独りよがりなこと考えていた。

会議の最初に皆で時間配分について議論しているときも、
話を聞かず独りで黙々とやってたし。

この時点で僕はグループのメンバーを否定していた。
協調性ゼロだった。

忘れてはならない。

『認めること』が一番重要なんだ。

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2006年8月30日 (水)

マーケティング研修1日目

今日と明日、マーケティング研修を受けます。
そして今日はその一日目。

うちの親会社の新入社員がいっぱいいました。

マーケティング研修の感想ですが、
本には載っていないような、
マーケティングの考え方、実際の使い方などの研修で、
マーケティング用語の説明などほとんどありませんでした。

そうゆうのは本を読めばわかるってことでしょう。

研修の中に、グループワークがありました。

「日本経済新聞は発行部数が減っている」

これについて、KJ法を使って問題を解決しましょうというものでした。

僕のグループは全員新入社員。他のグループはそうでない人が数人いたけど。

それぞれが一枚のカードにつき一つずつ現在の問題点を書く。
それを各自10枚つくり、似たようなものをグループ化して、
問題点をカテゴリー分けし、問題点を抽出。
そして改善策を導く。

今回、どのグループも大体次のような問題点がでた。

・ 字が多い
・ 字が小さい
・ ページ数が多い
・ 絵がなくて寂しい
・ 興味のある記事がない
・ 値段が高い
・ お金を払うのがイヤだ
・ インターネットなどで情報を無料で入手できる
・ 新聞がでかい
・ 電車のなかで読みにくい
・ 記事の内容が片寄っている
・ 読んでいると、手が黒ずむ
・ 内容が難しい
・ 知りたいことをすぐに知れない
・ カタイイメージ
・ とっつきにくいイメージ
・ 情報量が多い
・ 広告がない

などなど。

そして、グループ化すると『内容』と『デザイン』が主なものとして分けられ、
具体的対策案が提案する。

うちのグループの案
特にレイアウトにこだわり、「雑誌化」が答えとなった。
ようするにR25のような、記事が簡潔で短く、写真や図がありカラフルなものということ。

当然僕は納得いかなかったが、与えられた時間もあり黙っていた。

他のグループは、
内容    → 文字を短く
デザイン  → 絵を使う

また、

形 → 小冊子化、Webとの共存など

他グループのほうが論理的かつわかりやすい結論だったのだが、
僕はどれも納得がいかなかった。

課題は「日本経済新聞は発行部数が減っている」を解決すること。

まずどのグループも、『商品』である新聞そのものばかりで、
『経済』というものがどれぐらいニーズがあるのかという説明がない。

大げさにいったら、昔はあったけど、今は『経済』という分野に、
誰も興味がないのではないか?ということ。

そう考えると、事業撤退だって考えられるわけ。

まぁ当然『経済』に関心がある人がいなくなったわけではなく、
インターネットなど他の媒体で経済の情報を得ている人が多くなっているということだ。

また、先ほども言ったが『商品』だけ改善するのか?
もしかしたら『商品』ではなく、
『価格』が悪いのかもしれない。
または、『販売促進方法』が悪いのかもしれない。
この時点でダメなのだよ。正直。

次。

ターゲットはどこにおくのか?がハッキリしていない。

例えば、字の数が多いから減らせとか、絵が欲しいとか、
ページ数が多いとかあるけど、
絵を増やせば当然ページ数が増える。
ページ数が増えるからって情報量をむやみに減らせば、中身のないものになる。

日本経済新聞を読む人は何を求めているのか?
このネーミングをみると、「経済」を詳しく知りたいのです。

いろんな記事を取り込んで、内容を薄くするなれば、
インターネットニュースと変わらないし、意味がない。

「広告がない」から安易にいれていいものか?
この新聞はあくまで「経済ニュース」を提供するもので、
「広告」を提供するものじゃない。

まず、ターゲットと日本経済新聞のあり方をまとめ、
お互いに認識確認する必要があるのだ。

何度も位置づけを決めようと提案したが、
却下された。
激しく納得いかない。

最初に『意識あわせ』をせずにこれをやったのがそもそもの間違いだったのだろう。

最後に。

今回の討論でものすごく思いました。

今まで自分は他の人というか、新入社員より劣っていると思っていましたが、
そうでもないということ。
学力なんて関係ない。みんな同じで馬鹿だってこと(自分含めて)。

また、配属されて4ヶ月だけど、
マーケティングと論理思考というか、視野に関して言えば、
自分自身で意識していたことと、上司や周りの人のおかげで、
気付かないうちに、かなり成長していることを実感した。

だって、他の人の話を聞いていると、
デスクで一人悩んでいる自分と同じなんですもん。
普段の自分をハタからみたって感じでした。

また、親会社のほうの新人さんは、なんのために研修をうけているのか、
この研修でなにを学びたいのかというのがハッキリしていないからだろうか、
寝ている人もいる。

おそらく、この講義の本質と重要性をよくわからず受けているのだろう。
多分、上司が受けろと指示だしたから仕方なく受講しているだけだ。

僕の上司はむやみやたらに研修を受けさせるわけではなく、
業務を行なううえで、自分で必要と感じたものや重要性を理解したものを
受けろという感じだ。

そして、僕が自主的に気付くような教育というか、マネジメント(?)をしている。
僕にいろいろやらせることで、導いている。

就職してわかったことだが、
なんでもかんでも聞けば教えてくれるというわけではない。
教えてくれるけど、それを自分自身が理解できるかはさだかではない。
自分でなんとなくでいいから、感じ取ることが必要なのだ。

プレゼンテーションの仕方だって、
説明する内容によってその方法はすべて異なる。
明確な答えなどない。

でもコツはある。

このコツを上司は教えてはくれない。
業務の上で、こうゆうものを逐一教える時間がないのだ。
いや、教えてくれないのではなく、こうゆうものは自分で見出すのだ。

考え方やプレゼンテーションの仕方など、
教えてくれても結構抽象的なもので、なかなか実行できない。

まずこうゆうのを自分が実感し、
そして具体的対策がよくわからんときに、
その答えのヒントを得るために研修に参加するのだ。

また、今まで自分は『一流』という不明確な目的、
目指す最終地点を提示していたが、
その第一段階として、
マーケティングにおける論理思考というスキルを得ることを目指そうと思う。

その施策として、現在はやっているもの、
例えばiPodとかの、マーケティング成功例を分析でもしてみようかと思う。

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2006年8月29日 (火)

プレゼン反省

今日のプレゼンを振り返る。
ああやって自分はヘタレだヘタレだ言っててもなにも生み出さない。
ここからきちんと反省し次に繋げる。同じ過ちを繰り返さないようにしなければならない。

大学時代、というか去年。
先生方にプレゼンの仕方というものを数回だけだが教えてもらった。
正直まずそれができていない

大学のころのプレゼンは自分の研究であったことと、
プレゼン準備の時間をかなり長い間設けられたから、
ゆっくり先生に教えてもらいながら、事前練習などできたが、
今は「資料作って」といわれ、
「いつまでできる?」と進み、
「3日で作って」ですからね。

しかもその資料の内容がアイデア出しなものだから、
時間がないということがあげられる。

やはり短時間でよりいいものを作れるようにならないとダメである。

また、いま「資料作り」と書いたが、
本来資料を作ることが目的ではなく
自分の考えを整理し相手に伝えることが目的なのだ。

資料を作ることを主体として考えていたような気がする。

まずきちんと整理しなければならないな。

だから資料を読むだけのプレゼンになったり、
自信を持ってハッキリ相手に物事を伝えられなかったり、
質問されるとうまく答えることができなかったりするのだろう。

まずはアイデアを考え出し、メモするような感じでアウトプットし、
そしてグループ分けなどの整理を行なって、
人に伝えるためのシナリオを考えなきゃいけない。
それから資料を作成するのだ。

学生時代に先生に教えてもらったことを思い出しながら、
自分で反省しながらやらないと、成長しない。

           *

毎日こうやってブログを通して自分の反省をしているけど、
ブログで反省していることを、実際に実行しているときは、
なにも考えないで行動していることのほうが多いような気がする。

例えばスポーツのテニスを例にあげよう。
「さっきはああだったから、次はこの攻め方で即効に決着をつけよう」と構成をたてて、
サーブを打つとする。
しかしこう攻めようと考えたことが相手に通じず、
予定外にラリーが続いてしまったときなど、
僕はもう必死な感じで身体を動かすだけで、即座に次への構成をたてられない。

最近思う。

僕はなにか行動を起こすとき、
考えているようで考えていないのではないだろうか・・・

感情に振り回されているのではなかろうか?と。

事実、今日失敗したプレゼン資料だって、
さっさと作り終えることばかり考えていて、
中途半端になったのではないだろうか?

             *

プレゼンの資料もサッと見直すだけではなく、
それぞれのスライド(パワーポイントなので)で伝えたいことがなんなのか、
また伝えたいことは多すぎないかを考えながら、
見直さなければならないなと感じた。

最終的には見直す時間がほぼなくてもきちんとしたものを
最初から作り上げることができることが一番望ましいが。

              *

今まで「アイデアを出せ」とか、「改善案をだせ」といわれて、
自分なりにその回答策を考えてきたが、
絶対に「どうしてやるのか」ということを聞かれる。
言い方をかえれば「どういった経緯で考えついたのか」ということが重要なのだろう。

理由をきちんと考えると、調査を行なったうえでの裏づけや、
新しいサービスはどういった考えの元、提案したのかなど、いろいろある。

また、自分の考えた案というか、それは単なるひとつの『手段のひとつ』なんですよね。
しかも僕のような青二才が考えた案ですよ。
『自分の考えた案』よりも、
どういった経緯で作られた案なのかという、
『自分で考えた案』の『狙い』や『目的』を明確にし、相手に伝えたほうが、
いろんな人の案も聞けるし、よりいいものが出来上がっていくんですよね。

就職して5ヶ月、配属されて4ヶ月。
この期間で感じたことと学んだことというのはこれだ。

今までのことを反省してみると、
「こうゆうのを考えました」と最初にバッと出し、
「それはこうゆうサービスですよ」と説明し、
「どうです?いいでしょう?」って言っていただけのような気がする。

だから説明するときに、語尾に「~~~をやるといいと思います」
みたいな自信のないものになったんだ。

なんだよ!?「思います」って。自分で考えた案だろうが。
と今日、自分自身に突っ込みたくなりましたね。会議中に。

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2006年8月22日 (火)

アクノリッジメント

「ほめる」技術 Book 「ほめる」技術

著者:鈴木 義幸
販売元:日本実業出版社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

本日、帰りの電車の中でこの本を速読した。

タイトルから察することができるとおり、人を褒めようという本でああるが、
そもそも『褒める』のあり方についてや、
『褒める』とはどうゆう効果があり、どうゆうものか、そしてその方法が書かれている。

             *

この本を読んで僕は過去を振り返り、自分自身のふがいなさを痛感した。

僕は以前より、人を否定しないようにしていると言った。
これは、進行形で僕と対峙している人に対して、
会話の中で否定をしないと言う意味である。

つまり、相手と話をしている中で、その相手の意見やらなにやらを
『言葉』として『否定』しないという意味である。

心の奥底では『否定』しているといえる。
それはこのブログを読んでいる人ならおわかりだろう。
僕は自分の考えや意見をそのままブログにアウトプットしているが、
結構否定的なネタは多い。

それに誰かと会話しているさなか、その場にいない第三者を否定するときもある。

基本、相手を否定すれば、否定された相手はいい気持ちはしない。
だから、相手の前であえて否定しないのは、
相手とのコミュニケーションを図る上での手法として間違ってはいないだろう。

しかしこの本を読んで、
それは一番程度の低いコミュニケーションのスタイルであることを知った。

『否定』するというのは、正直誰でもできて非情に簡単なんだ。
そして『否定』するということは、
ある意味自分の価値観を主体としてとらえ、
自己中心的な考えをしていることに他ならない。

ここで、誰かの明らかに間違ったことを「それは違う」と相手に伝える行為は、
「言葉では否定」しているかもしれないが、ここでいう「否定」とは違う。
「言葉での否定」というのは、「相手を認めている」からこその行いであるからである。

そう。コミュニケーションを図るにあたって、
今まで僕が考えてきたコミュニケーションテクニックを語る前に、
「認めること」、つまり「アクノリッジメント」が前程となり必要なのだ。

相手を認める。

コミュニケーションを図る上で、相手の話を黙って聞くことが重要とよくあるが、
これも「相手を認める」という行いにおけるひとつの手段なのだ。

あえて「言葉で否定」せず、黙って聞いていたとしても、
心の奥底で否定しているようでは、相手に無意識の中で見透かされてしまい、
結局相手に対して否定的行いをとってしまっているのである。

だから「あいつは自分の意見を持ってない」とかって言われたり、
「つまらない相手」と相手に判断されてしまうのではないだろうか。

             *

相手を認めるという行為はハッキリいって難しい。

僕も過去に、相手の立場を考えるとか、立場に立つとか言っているが、
実際にそれができているかを考えると、答えは否である。

また、僕と同じようなことを言っている人、考えている人もまずできていない。
そして100%できている人なんて存在しない。

だって自分は自分であって、他の誰かではなく、
所詮そんな考えは独りよがりに他ならないからだ。

できた、できないなんて、そのときのたまたまの結果にすぎない。

ただ、これを努力することは重要だ。
そのレベルも、人それぞれなのだと感じる。
それはその人の今まで生きてきた環境や教育、
どれだけの人間と接してきたかによって大分かわるからである。
だから、自分にあったペースでそれを磨いていけばいいのではなかろうか。

              *

よく言われる「性格の良し悪し」なんてものはこの違いだと考える。

だから僕は、「性格が良い」とか「悪い」とかって表現はしないし、判断もしない。
所詮それも自分主観の自分勝手な考え方だからである。
僕は「自分に合うか、合わないか」で判断する。
性格のいい、悪いなんてないのだ。

「あいつ性格悪いよ」
そう陰で発言しているおまえ自身の性格はどうなんだ?

             *

人間誰しも孤独を嫌う傾向がある。
だからこそ、誰もが誰かに認められたい、
周りに自分の存在価値を認められたいと思っている。

これを否定する人間は本来の自分を理解していないといえる。

この存在価値を認められたいという心情こそが、
人間的であり人間性といえるのではなかろうか。

そしてこの人間性というものは、
他の生き物よりも優れている産物であると同時に、
浅はかであるともいえる。

自分のことを相手にしゃべる。
これは明らかに相手に自分を知って欲しいとか、
「すごいね」とかって言われたい心情からくる。

冷静に考えると、なんて浅はかなんだろうと感じる。

自分にも、人に自分のことを話して、
否定されれば不愉快に思い、賛同されれば心地よく感じるし、
思わずしゃべってしまうからこそ、そう感じるのだ。

だから自分も含め、人間というのは浅はかで馬鹿だと考える。

しかし、「所詮人間なんて浅はかなんだ」と感じたところで、
やっぱり自分も人間であり、その事実から逃れることはできないので、
人間とは所詮そんなものだと割り切るしかない。

              *

ここまでの考えに到達すると、あることに気がつく。

ものすごく嫌な言い方だが、
人を認めるということは、人をコントロールできるということだ。

コミュニケーションを制するものは人をも制する。

そしてどれだけ自分が操られていたのかということがわかり、
どれだけ自分が子供なのかが理解できた。

          *

人間の行動心理は

1.好きか嫌いか
2.正義か悪か
3.得か損か

結局みんな自分主体なのだ。

子供(この場合年齢に関係なく)なんてこの心理に明らかに振り回されている。
自分主体で単純極まりない。

自分の経験や考えを捻じ曲げない頑固者は古い年寄りだ。
自分が絶対的に正しい。自分主体でみっともない。

ここから抜け出すには、まず自分自身についてのこの行動心理を知り、
この心理を幾分か制御できなければならない。

僕の考える”一流”とは、人を制することである。

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2006年8月17日 (木)

最近の僕は・・・

一年ほど前と比べると、自分に対して反省も目標も持たなくなった。

それに人に気を使うこともなくなった。

今は自分自身のことでいっぱいいっぱいのようだ。

最近は気の許せる友人以外とはあんまりしゃべる気もおきない。

新しい人と出会う余裕がない。

いちいち誰かにかまうほど余裕もない。

アカンな、これじゃあ。

いささか疲れた。

そして最近の僕はこう、現実逃避しているような気もしてくる。

今から東北のほうへ心許せる友人二人と出かける。1泊してくる。

行き先は決めていない。

本来、僕のモットーは誰にも縛られず、自由に生きることだ。

これが僕のスタイルだ。

モブログってどうやるんだ?ココログは・・・・

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2006年8月12日 (土)

どうやら僕は・・・

まず最初にある友人へ。

約束の時間に寝てしまってごめんなさい。

いつのまにか眠ってました。
最後の記憶はTVでサザンが歌ってたことです。
PCはDVD焼き焼き中で、TVもつまらなく退屈してばたんきゅ~しちゃいました。

僕は今日、あることに気づいた。

僕の価値観の中には、
「人とのつながり」というものがどうやらないらしい。

僕はかなり友達が少数だが、まぁそれなりに関係は深い。
狭く深くってやつか。

結局僕は僕が中心で、
人とのつながりとなると、面倒になる。
例えばメール。

とくに関係の深い友人にしかくだらない文章を送らない。
その他は用件がないと送らない。
用件が済み次第終わりにする。用件がなければメールなんて送らない。

メールアドレスを自分から聞こうとも思わない。
なぜならどうせ使わないだろうと考えるから。

また、友人からのメールを返さないことなんてしょっちゅうだ。

どう返答するのか、反応しにくいメールなどが送られてくると、
その反応の仕方を考え出すのが面倒になり、ほっぽいてしまう。

なんていうのだろうか。
自分自身があんまりメールしないし、
中身のないメールをダラダラ何時間もかけてするのがいやだからだろうか。

また、よくメールをしている人というか、女の子でよくいるが、
「コイツしつこい」
とか、
「メールだりぃ」
とか、送信相手に対して文句言っているのを聞くと、
自分はそう思われたくないと考えてしまう。

自分から「元気?」とか「なにしてんの?」とかってメールを送ることが、
相手にとっても嫌なんじゃないかと思ってしまう。
だって、こっちは相手のそんなことを逐一聞く権利もないわけで、
それって相手の時間を尊重していないと考えてしまうから。

これでも仲のいい友人とかになれば、それなりに相手のことを知っていえるので、
あんまり気を使わずにメールをおくることはできるし、そうしている。

でも仲のいい友人以外は特にメールしない。

そのせいもあってだろうか。

携帯なんて1日に一回でも鳴ればマシなほうだ。
もはや携帯をコミュニケーションアイテムとしてあんまり使っていない。

学校とかで同じクラスとかでないとつながりなんてない。
学校を卒業してしまえばそれまでだ。

自分の身の回りで何か起こっても、
特別に誰かを頼ることはない。

言い方を変えれば、頼る友人や人間はほとんど決まっている。
むやみやたらに自分のことを言い降りまわらず、
何かあれば自分でどうにかしてしまう。

基本第三者を頼らない。

見た目頼りないけどね、自分。

なにかこう、飲み会とかの幹事というか企画めいたことをやったことはあるけど、
僕が企画したものが実行されたことなんてない。

だいたい、日程前日ごろにキャンセルが入るし、
大勢の人の日程調整なんかやってると、
それぞれが自分の都合を言うもんだから、
面倒くさくなる。

今まで成功したことないから、この間9日に計画してたものは、
それなりに成功させたいなぁと思っていたが、
結局お流れになってしまった。
てかこれもまた自分が面倒になった部分があったことは否めないが。
あと乗り気にならなくなる要素があったけど。
友人には話したが、16日もあんまりだったりする・・・
車が必要でほかに出せる人がいないという事実と、
こうがんばって調整している友人をみていると
協力しないわけにはいかないという思いがある。
そして自分が車を出せば他の大勢の人たちが充実した時間を過ごせるんだったら、
まぁそれも悪くないかなぐらいだろうか。

てか正直今の自分にはそれぐらいのことしかできんし、
その程度の価値しかない。

ぶっちゃげ今のバイトの子は僕をうざがってるのが肌で感じる。

例え表に出しているつもりがなくても、
裏でのというか本心なんてものは、
普段の表の行いに影響を及ぼすものだと僕は考える。

被害妄想かもしれないけれど、
それがまぁ理由ってことだろうか。
特に相手はみんな学生だし、10代だから、
本心が表に表れやすいと思うし、
なんとなく感じずにはいられない。

あと、自分から出会いを望むこともない。

よく恋人ができない人が「出会いがない」とかいうけど、
そんなものは自分に都合がいい人間と出会わないだけであって、
普段から実は出会っているもんだと思っている。

出会っているけど、自分の都合のいいというか、
受身だからそう感じるのであって、
自分から歩んでいけばいいだけじゃないかと。

合コンとかやるっていうのも正直あんまり価値観がない。

んな知らない人と話すことなんて特にないからだ。
どうせ僕がいると会話が生まれず気まずくなるだけだと考えるから。
いちいち気を使って会話を持たせるぐらいなら、
家でゴロゴロしているほうが自分にとって満たされた時間だと感じてしまう。

合コンなんてその場限りの関係で、
後にはつづかねぇよと思うのが僕だ。

だってメールする内容なんてないもん。

それに思った。

仮に僕が普通の考えというか、出会いを自ら求めている人なれば、
僕は自分のブログによく書き込みをくれる人と実際に会っているのではなかろうか。

普通の人なら会ってるよなぁと。

僕の場合、会ったところで僕自身が会話の内容も特に思い浮かばないから、
たぶん相手にあんまりいい思いをされず、
相手に悪い印象を与えてしまうと感じてしまう。

特に相手が自分に対して気を使いまくってるのがわかると
申し訳なくなる。
てか必死やなぁ・・・この人・・・とかって思ってしまう。
会社の人に対してたま~に思うことがある。

年上が年下にがんばっちゃってるからさ。
そこまでせんでもいいのに・・・って思うことがある。

下手に会って相手を失望させてしまうより、
オンラインならオンラインでのつながりのままで長く現状維持したほうが
お互いのためだと考える。

それが僕が周りの人に対する価値観だ。

ただ、友人が困っていて、僕を必要としたとき、僕は僕なりに協力はする。
ちなみに友人が困っていても、僕を必要としていないのであれば、そっとしておきます。

ただ、そんな価値観であっていいはずがないし、そんな自分を大きく変えたいと考える。

今後はメールもきちんと返信するように努力しようと思うし、
なんか相手の時間に土足で入り込むような気もするが、
無駄にメールを送ってみるようにもしてみようかと思う。

現に僕は今まで親友にも用件がないかぎりメールや電話しなくなったが、
最近するようになったのも事実。

変わりつつあるのかもしれない。

友達は「狭く深く」とか「広く浅く」とかよくいうけれど、
僕は正直んなこと真剣に考えたこともないが、
なぜこの二つのどちらかしかないのだろうか?

「広く深く」

いきなりとか無駄に広くするつもりはないが、
少なくとも現状でつながりのある人との関係から見つめなおし、
現在浅い関係の人積極的深くなろう。

そして少しずつでいいから輪を広げていこう。

もっと一つ一つの出会いに感謝しよう。

細かいテクニックとかじゃなくて、まずは自分自身の心を改める必要がある。

まずは同期からがいいかもしれない。
これから長い付き合いになるだろうし、
仕事上において悩みや相談事なんて増えてくるだろうから。

そして次は元バイトのこだろうか。
さっきも書いたが、結構危ないけどね。
まぁ歳が離れすぎているというのもあるかもしれんし、
僕がもうバイトをやまてしまったというのもあるだろうけど。

結構立場が違うからな・・・
食い違いも多いのだろう。

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2006年8月 8日 (火)

今週のあいのり

ひさよん VS ちゃき

あなたはどっち派ですか?

この問題は二人の明らかな恋愛における価値観の違いですね。

ちゃきはどちらかというと若いというか、
好き=一緒にいたい
好き=一緒にいるのがあたりまえ

それに対してひさよんは、
ちゃきと比べると周りの部分に視点をおいている部分があると思います。

ただひさよんの説明の仕方はただちゃきを怒らせるだけのようにみえますが。

で、僕はどっち派かというとひさよんのほうが価値観近いです。
そして誰が悪いかといえば、田上君が一番悪いと思います。

そもそも「あいのり」というのは参加メンバー全員が、
恋愛をする前提条件のはずで参加しているわけです。

田上君に彼女がいること。

その事実を知らずに、どっぺり田上君にはまっていたなんて、
和泉もひさよんも恋愛をしにきているのに馬鹿みたいですよね。

ずっと悩み苦しんできたのに、なんだそりゃ?て感じですよ。
恋愛をしにきたのにそれすら許されない相手だったわけですから。

彼女らだって自分の普段の生活をSTOPさせるまでの思いがあって、
あいのりに参加しているわけですよ。
それがある意味、空回りで時間の無駄になったわけです。

もちろん告白された相手は告白してきた相手を選ばないといけないわけじゃないですけど、でも最初から選んでもらえる可能性なんてまったくなかった。

参加者はみんな真実の愛をもとめてという目的で参加しているわけで、
この番組の主旨でもある。

逆に僕はちぇきに聞きたい。

田上君は真実の愛を求めてきたというわけじゃない。
そんな相手に何も知らずに、告白して振られたらどうよ?

ひさよんなんて、過去に和泉をみてるわけでしょ。

なんでみんなの前であんなことをひさよんは言ったのか?
それはひさよんが皆を仲間だと思っていたからの他でもないと思います。

真実の愛をもとめているという思いできているのに、
それを裏切る形で田上君はいたわけで、
こうゆうことはみんなの前で言わなきゃならんことだとも思う。

それに自分や和泉が苦しんできたからこそ、
他の女性メンバーに同じ思いをしたくないという気持ちがあったんだと思う。

だいたい男メンバーは知っていたわけでしょう。
じゃあ自分の思いを寄せいている女性が、
絶対に成り立つはずのない田上君に恋してたらどうなんですか?

ひさよんが言わなければ、
そのうち男メンバーで殴り合いになっていたことだってありうる。

ひさよんは田上君を恨んでいたとちぇきは言う。
ひさよんが田上君を恨んでいた部分もあることは否定できないが、
むしろひさよんは自分に対してむなしさと恨みを持ったと思う。
そして田上君が好きだからこそ、
同じようなことが今後も起こらないように、
そして自分自身の気持ちの整理と決着のため、
けじめをつけたんだと思う。

ちゃきは「いるはずの田上君がいない」とか、
「なんで田上君は帰ってひさよんは?」
「田上君も旅を続ければいい」って発言。
僕には逆に理解できない。
結局自分自身でけじめをつけられないでいるだけのようにも思える。

田上君に無意味に恋し続けてちぇきにとって何が生まれるのか激しく疑問。

仮に田上君がいたとして、
彼に彼女がいることの事実を知っていながら田上君と一緒にいて、
ちぇきは何がしたかったのか?
質問をぶつけてみたい。

じゃあちゃきの望むものはなんだったの?
どうなりたかったの?と。
無駄に何もしらないまま田上君の手のひらの上で踊っていたかったのか?

僕にはちぇきにはプライドがないように思える。
それにいつまでたっても根にもって、
罪の意識からケーキを作って和まそうとしているひさよんに腹立てて。

ちゃき「人の気持ち考えたことある?」

僕「おまえもなー」

それともなんだ?
どうすればいいのかわからなく、ひさよんにあたっているのか?
逆に田上君に彼女がいる事実を知ってよかったじゃないか。

てか、ちゃきみたいな人って、
自分の恋愛が思い通りにいかないと、
人のせいにして、人のこと嫌いになってる
自分勝手にしかみえないんだけど。

自分にとっていいことをしてもらうと半端なく喜んで、
「好き~」とかいって、
なにかちょっとでも気に食わないことがあると手のひらを返したかのように
「あいつムカツク」「あいつたいしたことない」と言う人。
たま~にいる。

自分の非がなく、全部人のせいにしてしまい、
結局何度も同じこと繰りかえしてるから。
よく過去を振り返ると自分だって悪いところなんてあるんですよ。
または自分はそのつもりなくても、
知らず知らずに引き金になっていたとかね。

なんか話が脱線してきたな・・・(汗)

で、ひさよんの肩を持つ発言をしてきたけど、
ひさよんはひさよんで、皆に知られないように
田上君を諭して日本に帰らせるべきだった。
それが一番の大人的解決の方法。

男性メンバーがひさよんがみんなの前で言ったのを否定しているのは、
こうゆうことを言いたかったんだろうと思うけど。

しかしこれほど難しく辛いこともないけどね。
普通ムリだろう。
自分の感情を押し殺して、
周りに気付かれないよう陰で好きな人を帰らせるよう諭すなんて、
精神力がそれなりにないとね。
てかこれを実行し実現できたとしても、
自己嫌悪に陥って自分が病んでくだけだろうから。

てか男性メンバーもメンバー。
女であるひさよんにそんなことさせるなよ。
知ってたんなら田上を帰らせるべきはてめぇらだろうが。

というわけで、僕が一番理解できないのは、
田上君とちゃきの行動と考え方。

まぁ偉そうで知ったような口の利き方で書いたけど、
実際自分もできないけどね(笑)

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2006年7月31日 (月)

やっぱりよくないよな

この間、消えるゆうたけど、
そうゆう考え方が僕の悪いとこだよね。

まぁこうゆう風に思うようになっただけマシか。

高校のときは完全に縁切ってたし。

やっぱ大事にしなきゃならんな。人間関係は。

人は所詮一人で孤独には生きられへん。

周りと話をするだけでも救われてるんだよな。

反省、反省と。

ガキやな。俺も。

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2006年7月26日 (水)

「優しい」について考える

少々肩の荷がおり、ちょっと楽になったERASERです。

なんか昨日の記事ですが、
ただ自分の感情に振り回されて書きなぐってる感がしますね・・・OTZ。

こんなものを書くためにブログやってるわけじゃないんですが・・・。

ようやく落ち着いたので、ゆっくり考えてみた。

この間、自分の「優しさ」は偽りだと書いた。

「人に嫌われたくない」という感情からくるものであり、
所詮は誰かのためではなく、自分のためなんだと書いた。

確かにそうゆう部分もあると思う。

しかし、必ずしもすべてがそうではないんじゃないかと考えた。

自分から相手に与える「優しさ」は2種類に分けられるのではないだろうか。

・ 意図的な優しさ
・ 無意識な優しさ

また相手から自分へ伝わる「優しさ」にも2種類ある

・ 実感する優しさ
・ 認識しない優しさ

そして僕が言う「人に嫌われたくない優しさ」というのは、
意図的な優しさに分類される。

いや、この「意図的な優しさ」というのは偽善のものだと思う。
ウソ偽りだ。

他にもこの「意図的な優しさ」として
好きな異性に対して、相手によく思われたいという部分にも適合すると思う。

「人に嫌われたくない」というのと、
「相手に好かれたい」という部分が異なるだけで、
結局自分に見返りというか下心があるわけで。

まぁ「偽善」だと言っているものの、
それが「悪い」と言ってるわけではないので勘違いしないで欲しい。
(下部に詳細を記載)

意図的な優しさが偽善というなれば、真実の優しさとはなんなのか。

それが無意識な優しさだと思う。

人は自分が生きてきた人生の中で出会った人や、
受けた教育によって人格や性格が形成されていく。

その形成された人格や性格によって、
本人にはそのつもりがなくても、知らない間に相手に優しさを提供する。

また、自分が置かれた立場や環境に影響されて
無意識に優しさが現れることがある。

正義感からくる優しさとか、親が子供に対する優しさとかね。

そして「相手が実感する優しさ」についてだが、
結局、自分が優しいかどうかなんて人が判断するもの。

自分が相手に意図的に優しくたとき、
それを相手が優しいと思えば「優しさ」になるし、
自分は優しくしたつもりはなく普段どおり接していたとき、
相手が自分に対して「優しさ」を感じれば優しくなるわけ。

自分を評価するのは自分でなく、相手なのだ。

この世に自分は物体として一つしか存在しないが、
周りの人が感じる無としての存在は、その周りの人の分だけ存在する。

最後、相手が認識しない優しさ。
勘違いして欲しくないのは、
相手が実感しない優しさ=相手が認識しない優しさ
ではないということ。

では例をだそう。
親が子供を叱ったとき、子供が親に対して抱く不満。

そう。
親(自分)は子の成長のためを思って(優しさ)怒るが、
子はそれに気付かない。
自分が親になってはじめて気付くというべきか。

そうゆうことだ。

「意図的な優しさ」を「偽善」と否定的な言葉で表現したが、
「意図的な優しさ」は決して悪くないし、むしろ必要だ。

「誰にも嫌われたくない」から始まった意図的な優しさでも、
結局それは自分が自分の価値観の中で生み出した「優しさ」であって、
万人に通用するわけではない。
でも、そうやって「人に優しくしようと心がける」ことをし続ければ、
こうゆうのは相手も喜んでくれる、ああゆうのは不愉快に思われると
気の持ち方で勉強になり、
そのうち「無意識の優しさ」へと昇華され、
「真実の優しさ」に変化していくものと考える。

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2006年7月23日 (日)

自己分析

「人に嫌われることが怖い」

だから当たりさわりない話題しかでてこない。

周りが楽しんでいるのに自分だけどこか楽しみきれない。

だから何でも人の台詞を肯定してしまう。
内側では否定しつつも。

そう。ただ怖いだけ。勇気がないだけ。

自分からメールアドレスを聞けなくなったのも、
そこが原因だと思う。

ネガティブシンキング、自己否定思考、そして被害妄想。
すべての原因は

「人に嫌われるのが怖い」

という心に住み着いた心情なんだと思う。

          *

今日は友だちから、

ほんの数日前に僕がとった行動が、
ある人を不愉快にさせていたということをリークしてもらった。

ものすごく凹んだ。

別に僕はその相手に嫌な思いをさせるつもりはなかった。
むしろ自分の価値観からでた行動というか発言であった。

でも不愉快な思いをした相手は僕と価値観が違ったということだろう。

友人は僕に対して、
そんなことでいちいち不愉快になっている相手も懐が狭いんだよと言ってくれた。

でも今回は僕が悪いと自分で思うけど。
本当に凹んだ。

やっぱり人に嫌われたくないという心情が、
僕をここまで凹ませているんだ。

世の中にはいろんな人間がいていろんな価値観があるんですよね。
あらためて実感した。

          *

そもそも「人に嫌われたくない」という心情はどこから生まれたのか。

たぶんそれは僕が今まで生きてきた過去が原因なんだろう。

特に高校1年のとき。

「キモイ」
「メガネかけててキモイ」
「顔がキモイ」

言われ続けたときもあった。

また、授業中、筆記用具を奪われ
クラス内でたらいまわしにされ、
エサを追い求める哀れで馬鹿な魚のようにそれを追い続けた僕。

最終的に「返せ」と激怒してみせたものの、
なぜか僕が先生に怒られる。

高校3年のとき。

月に数回ある学年集会。
特に学年集会で行なうべきネタがないとき、
先生がそろいもそろってアホなレクレーションを考えてそれを行なう。
クイズ大会とかなんたらとか。

その中で「クラス対抗なわとびレース」

学級委員が走る順番を決めていた。

最終的に順番は学籍番号にした学級委員。

なぜか一番トリのアンカーは僕にされた。
僕は学籍番号最後でもなんでもないのに。

都合よく前日にバイトで右手甲をひどく火傷したので、
わざとらしく包帯して、朝ストーブで火傷したといいわけして
その時間が終わるのをみこしてわざと遅刻した。

無遅刻無欠席だった僕はこのとき消滅した。

他にもさまざまある。

こうゆうのがきっかけで、
僕は人にいじられたり、キモイと言われたりすることに
ものすごい恐怖感が生まれ、
人の顔色を伺うクセが身についた。

ただそうゆうことを経験したおかげで、
人の小さな反応にすくなからず敏感に反応できるようになった。

しかし、他人を完全に信用することができなくなった。

だから、誰にでもどこか一線を置くようになってしまい、
自分をさらけ出すことができなくなった。

そしてどんどん病んでいった。
自分以外のありとあらゆる人間を拒絶し、見下し、接することをしなくなった。
このとき僕自身の中の時計は止まったのかもしれない。

あれからだいぶ月日がたち、
少なからず回復の兆しはみせてきている。

まるくなったと自分でも思う。

          *

「人に嫌われたくない」という心情は誰もが持っているだろう。

でも僕の場合、自分の経験してきた過去のおかげで、

その心情は人一倍強いものだ。

それこそ自分が好きになった人物だけでなく、
自分と関わりのある人物全員にその心情は働く。

          *

今日、僕はあることに気がついた。

僕のもつ「優しさ」はこの「誰にも嫌われたくない」という、
所詮自分自身を守るためのものであり、
僕の「優しさ」は偽りのものだったのだと。

そして「誰にも嫌われたくない」という心情は、
自分で自分を追い詰めている原因にもなっていると。

疲れる・・・。
毎日が・・・。

だから壊れたい。

自分自身の壊したい。

壊れてはっちゃけたい。

もう自責の念にとがめられたくない。

開放されたい。

もう、やめたい。

もっと自由に生きたい。

自分自身が本当にやりたいこと、

自分自身はどうしたいのか、

もっと正直になりたい。

もっといろんなことを経験して、楽しみたい。

もっと心の底からいろんな人と仲良くしたい。

いちいち細かいことを気をきにしすぎなんだ。

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2006年7月20日 (木)

初有給休暇 本当の恋愛

初の有給休暇をとりました。

以前のバイトのコたちと大勢で遊んでました。

カラオケやって飲みみたいな。

有給とってなにやってんだ、この馬鹿とか思う社会人もいるかと思います。

でもまぁある意味過去の人脈を大事にすることも自分のためなのかなと思い、参加しました。
普通に馬鹿騒ぎしたけど。

ただぶっちゃげ酔いにまかせても完全に楽しめないというか溶け込めない自分もいた。
たぶん他の出席者が僕をみて、僕は完全に楽しんでいたようにみえただろうけど。

てかバイトのコなんですが、みんなかなりかわいいんですよね。本気で。
だからその分恋話とか豊富なんですよ。

なんかぶっちゃげたリアルな話も知っちゃったし。
おまえらいくつだよ!?って感じ。

こんな年下なのに、恋愛経験でいったら完全に負けてますよ。
てか自分ほとんど恋愛経験ゼロに等しいですから。23にもなって。
で、あんまり好きじゃないんですよ。恋愛系の話って。
自分の経験の中でネタになる話題もあるけど、
あんまり自分のことを話すのは嫌いです。
だから普段は聞き専門か、興味ある感じで聞いてる振りして、
実際聞き流してしまう。

以前、僕は本当の恋愛、恋をしたことがないと言われたことがある。
たしかにそのとおりだと思う。

でもだからといって、みんながみんな本当の恋愛をしているのだろうか?
よくまわりは付き合うとか好きだとか話をしているけれど、
それって本当の恋愛といえるのか?
そんなその歳で5人も6人もってさ。
結構みんなそうだからね。

『本当の恋愛』じゃなくて『そのとき、その場の恋愛』なんじゃないかと僕は感じる。

一時期、相手が好きになっただけであって、その好きという感情が冷めたらハイ次みたいな。
こうゆう相手の行動で一気に冷めるとか言うけれど、結局それってその場だけの恋なんじゃないか?

別に好きだからなんでも許せるとかが真実の恋愛なんだといいたいわけじゃないけど、単純に恋愛に依存しているだけというか、なんだか浅はかにみえてしまう。

まぁある意味自分の恋愛も自分自身で否定してることになるのかもしれないけど、なんでそんなホイホイ彼氏・彼女が変わるのか僕には理解できない。

結局ほとんどの人は中身よりも外見から入り、実際付き合ってみて、ようやくそれから内面をみはじめてるという要素が多いんじゃないか?と思う。

結局は外見なんだよ、外見。特に若けりゃ若いほど。

ただ一時の感情に流されて恋愛して、終わってからその経験と感想めいたことを話すような恋愛第一価値観の人の話は好きじゃない。
それなりに普段から考えている人の恋愛話、自分がマジメだと思う人の恋愛話は聞いていて自分のためにもなるからそうゆうのは好きだけどね。

ただ、僕自身の価値観を書いてはみているものの、自分自身で堅物だなと思う。
結局僕の言う「どのとき、その場の恋愛」ってやつも、終わってからの『結果論』に過ぎず、そのとき、その場のキモチってやつに正直に行動することが重要で、「そのとき、その場」から始まって「真実」になることが一般的なんだろう。

ただ、今回書類送検された極楽とんぼの山本みたいな人間が、もっともらしく自分を正当化している人間も多く、僕は嫌いだということは事実である。

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2006年5月30日 (火)

強飲強食~ジョギング~TV

今日は18時から他社で会議があり
もちろん残業なわけで。

んでそのまま直帰したんですが、
帰りに先輩社員と飲んできました。

先輩社員といっても相手は上司と同じ階級のマネージャーですが。

んで帰ってきてから即効でジョギングした。

帰ってきたら「フーゾクで働く女たち」みたいな
ドキュメンタリー番組が

なんか18歳の女性が、家が貧乏で、
親に家を買ってあげるためにフーゾクデビューとか。

なんか途中から見ただけだからなんともいえんけど、
伊藤四郎氏と同じ意見ですね。

娘が身体売って稼いだお金で、
家建てられても嬉しい親なんていないんじゃないかと思う。

まだ18なんだし、
べつに今すぐ無理して家をプレゼントしなくても、
コツコツ働いても最終的にプレゼントしても
いいじゃないかと思うんですけど。

自分が貧乏の環境で育ったというのは事実なんだろうし、
実際僕がそんな環境で育ったわけではないのでなんともいえませんが、
貧乏とか、親のためとか、
なんか自分を正当化している子供の言い訳にしか聞こえんのだが。

親がそれでも家を欲しいとか、娘に言うようなやつなら、
彼女の育った環境が激しくかわいそうだと思うけど。

貧乏だからフーゾクで働くって考えも、
まぁひとつの答えなんだろうけど、
貧乏の人が必ずしもフーゾクで働いているとは思わないし。

てかそれなりに着飾ってるわけだから、
そこまで貧乏じゃないんじゃないの?と思うわけ。

本気で学校にいきたくて、勉強したいってんなら
奨学金制度だってあるわけだし。

まぁそれでもきつい家庭はあるだろうけど、
結局彼女がフーゾクで働きはじめたというのは、
彼女の意思なんじゃないの?ってことです。

貧乏とかの問題じゃなくて。

てか最終的に家をプレゼントできたとして、
その後彼女になにが残るんだろう?って思う。

それで幸せなの?

仮に親が知らないとして、
ずっと秘密にするわけ?
結婚とか、彼氏とかできても秘密なわけ?
よっぽどおおらかで心の広い男じゃないと、
自分が本気でも遊ばれる可能性も高いと思うけど。
てか仮に結婚とか、
形的に幸せな環境になったとして、
結局彼女は罪悪感と共に生きていくことになるんでない?

まぁ一生一人ものならそれも人生なんだろうけど。

次。
22歳AV女優。
これでもAV女優に関しては詳しいほうだけど、
知らんぞ、こんな女。

いや、話がずれたね。

歌手になるためにAVねぇ・・・

なんか激しく方向性が違うような・・・

まぁ飯島愛とか、蒼井そらとか、及川奈央とか
AV女優から芸能界に来た人だけど、
歴代のAV女優からみても、
超ほんの一部だけなんだけど。

むしろはじめから歌手目指していたほうが・・・

まぁ業界に入り込んだこともないのでわからんけど、
大抵AV入りした人が芸能界にくることなんてないんじゃないかな。

僕思うんだよね。
よく『夢』を叶えるためにフーゾク業界に入る人いるけど、
やっぱり金銭感覚がマヒして、
その世界で儲けてたときの華やかな生活から
もとの生活に戻ることできないんじゃないかって。
夢よりそっちのほうが儲かるわけじゃない。
なんかアホらしくなっちゃうんじゃないかなぁ。

そもそもフーゾク入って夢かなえられた人ってそんなにいるのか?

有名になったらなったで、
男共には顔覚えられるわけで。

伊藤四郎の言ったとおり、
少しでも罪悪感があるならやめといたほうがいいとおもう。
身体売る行為は。

罪悪感なかったり、セックス大好きなら別だけど。
それならそれでその人の天職なんだろうし。

身体売る仕事をはじめるってことは、
それだけ自分の人生を大きく変え、影響をもたらす仕事なんだと思う。
だからこそある意味尊敬しますがね。

次、あいのり

今回のミスは明らかにスタッフ悪いだろ。

そもそも人の恋する心ってのは
どうしようもないだろ。

なによ?あいのりルールって。
ゴキかわいそうじゃん。

ルールを大事にするなら、
もっと恋されないようなスタッフを行かせるべきだろ。

人選ミスだよ。明らかに。

アウトローもかわいそうといえばかわいそう。
せっかく彼にとって新しい世界が現れ、
自分の中でも告白する決心したのにね。

きちんとゴキにふられる形なら、
彼も彼で納得できたんだろうけど。

アレはひどい。

スタッフもなんかわざとらしくスイッチ切らなかったんじゃないか?
と一瞬疑ってしまうが。

あんな形でゴキの本心をしっちゃえばね。

大きなショックと空回りしてた自分への怒り、
音声さんへの嫉妬、やるせない気持ち。
よくわかる。

でもまぁそれも人生でしょ。(他人事だけど)

ああなってしまったからには帰るしかないよね。
仲間とも気まずいし、
ゴキと一緒にいたらおかしくなるし。

しかしやっぱり和泉はカンだけはするどいな。
すぐにアウトローの異変に気付くとは。
観察力はすごいな。

まぁアウトローもあからさまだったが。

ゴキもゴキでケジメつけたじゃん。

ジョギング ○
筋トレ   ○

体重   55.6kg (かなり減ったなぁ)
体脂肪率 15.5  (食った割には減ったねぇ)

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2006年5月24日 (水)

反省

会議にて。

当然まだ僕はついていけないわけですが。

メモの取り方が悪いとすんごい思う。

でもどうとればいいのか、けっこうわからんのだよ。
というわけで、
明日も都合よく残業込みの会議があるので、
今までの会議における自分を振り返って
メモを取ろうと思う。

まず、会議にはそれぞれの担当の人、
少なくとも1人が資料をもとにプレゼンを行う

これは軽く補足する程度のメモでいいだろう。

次に議論に入る。

ここがかなり難しい。

なんてったって、専門用語がわからんし、
聞いたこともないような言葉が
うまく聞き取れないのでまとめようがない。

とくにアルファベットが4つ以上並んだ専門用語は
わけわかめ。

んで次。
会議によって洗い出された結論が、
いくつかでてくる。

ただ、今僕が行ってる会議内容は、
まだ具体的対策や方向性をきめる段階になってないので、
ごちゃごちゃしてて理解できない。

こうゆうケースは、こうゆうケースはと、
無限にしかもちょこちょこでてくるので、
まぁほとんど全部記録せにゃアカンわな。

そして最後。
これが重要かな。

次回の会議までに行う、
それぞれの宿題というか、
課題をはっきりさせてメモる。

うん。
これはぜったいおさえよう。

んで会議終了後にまとめて、
んでもって、
きちんと資料の整理整頓をしよう。

なんかいろんな会議に出てるから、
すでにごちゃごちゃしてしまって、
次回の会議前に、
前回の資料がどこだったのか、
ノートのどこにまとめたのかがわからなくなってしまうのだよ。

これどうにかしたいよね。

それから、
資料作りももうちょっと効率化できる方法を考えよう。

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2006年5月23日 (火)

自己プロデュース企画

今日からジョギングしはじめました。

もちろん血液検査の結果が、歳のわりには悪かったからです。

また、ジョギングのほかに筋トレもはじめました。

さらに食事にも気を使うようになりました。

また健康とはまったく関係ないですが、
家計簿をつけはじめました。

というわけで、
今日からきちんとジョギングと筋トレをやったかどうかの記録と、
昼食の内容などを記録していこうと思います。

また、『自己プロデュース』とありますが、
上記に述べたのはとりあえず第1弾とさせていただきます。

僕の仕事はマーケティングの商品企画です。

現在、マーケティングの基礎を、
通勤電車の中で勉強しています。

このマーケティングの知識や考え方を使って、
自分自身をプロデュース、
つまり自分自身を商品として作り上げていこうと思っています。

それがこの『自己プロデュース企画』であり、
その第1弾が健康における運動ということです。

まぁ詳細は今後続けていきますが。

まずジョギングについて

有酸素運動と無酸素運動を交互に行なうと、
志望の燃焼が推進しやすいということなので、
無酸素運動である『走る』行為と、
有酸素運動である『競歩』を繰り返す方法をとろうと思います。

筋トレについて

5Kgのバーベルを使って、
肘と肩を左右それぞれ50回行ないます。
あと、腹筋を30回行ないます。

食事について

いちおう家族ぐるみで食生活の改善をはかることになったので、
主に会社で摂取する昼食内容について記載します。

また、体重と体脂肪率をブログに記載していきます。
この測定は入浴前に行ないます。

ちなみに身長は168~169cmらへんです。

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2006年5月22日 (月)

笑った顔がキモイ

ってたしか高校のとき言われてた。

今考えると、自分でもそう思う

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2006年5月 7日 (日)

女性が男性を、男性が女性を

先日、新宿に飲みに行ったときときの話です。

女性が男性をGetする難易度と、
男性が女性をGetする難易度について、
友人がこんなことを言っていました。

女性は男性の内面を中心に判断するから、
男性は多少外見が悪くても、彼女ができる場合がある。

でも男性は、外見をまずみてから女性の内面を見始める。
だから、女性が彼氏を作るには、
外見も良くなければならない。

よって、女性が彼氏を作るほうが難しい。

現にその辺のカップルをみてみろよ。

女性のほうがやたらかわいいのに、
男はそんなことない場合が結構ある。

でも、カッコイイ男性とそうでない女性のペアは
めったにみないじゃないか。

とりあえず僕は黙っていましたが、
そんなことないと思います。

確かに女性より男性のほうが、
外見で判断している部分はあると思います。

てか僕は女じゃないんでよくわからんけど。

でも、男性は外見を重視するのに対し、
女性は未来というか、先を見据えているようにも思います。
なんていうか、『現実』ってやつでしょうか。

まぁ年代にもよるけどね。

でもまぁ、昔はモテるモテないなんてあんましなかったと思います。

縁談があればもう結婚というか、
本人たちの意思よりも家系重視で結婚といいますか。

悪い言い方をすれば、女性は昔と比べると、
やっぱり力をつけたといえます。

少子化問題も、昔の日本の文化では考えられなかったことでしょう。

本人たちの意思を無視した結婚と、
相手を自由に選べる結婚。

案外どちらもいい部分があり、
悪い部分もあるということかもしれませんね。

どちらが正しいのかはわかりませんが。

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2005年10月28日 (金)

どうやら怒らせてしまったりしたようで・・

記念すべき100回目投稿。そして・・・という記事を読んで、不愉快に思われた方がいるようで補足します。

昨日、僕の卒論中間発表でぐだぐだで、しかも激しく勘違いをしていました。それに関しては、一番の原因は僕自身でして、誰かが悪いわけではありません。勉強不足の私が悪いんです。だから僕は、その辺はきちんと「自分が悪い」と理解していますし、卒業に関することなので、もっと難易度が低く、方向性をどうむけていけばいいのかと諭してくれた先生方や先輩の行動は正しいことで、そのことに関して本当に感謝しています。

まぁその中で「カチン」ときた一言もありました。(どうゆう一言で誰がその一言を発したのかを別に言うつもりはありませんが)たぶん本人はそんなつもりはなかったのでしょうけど、僕は僕なりの精一杯でいままでがんばってきていたので、その一言はかなりショックを受けました。でもその一言もハッキリ言ってしまえば僕自身の知識のなさをみなさんが理解して、その上でおっしゃったことですので、やっぱり原因は僕自身にあります。そしてそういうことを言われてもしょうがないと思っています。

ただ、その言葉を耳にして、激しくくやしい思いをし、自分の非力さに改めて気づかされたわけです。ですから、そのことをでムカついたからその人を恨むつもりもまったくありませんし、いまでも尊敬しています。まぁ当然ですが僕よりもはるかかなたに存在している方だからです。

ですから、ムカついたからムカついた相手に質問したり聞いたりするのが嫌だからといって、できるだけ自分の力でやるとひねくれたことを言っているわけではございません。僕に対してどうゆう印象をもたれているのかはわかりませんが、そこまで子供ではありません。むしろ、その悔しさをバネに、「がんばってやろう」、「驚かせてやる」という思いをして、一人でやろうと考えたのです。

また、他にも自分なりのきちんとした理由があります。

まず、僕が卒論で使っているJAVA3Dに関してですが、先生方は普段OpenGLやC言語を使っておられていて、JAVA3Dはよく知らないということがわかり、結局自分で調べなければならないと以前から実感していました。

そのほかのCGに関することやアルゴリズムに関してのことですが、今日先生方や先輩方も感じたことだと思いますが、僕は重度の馬鹿です。皆さんが、「僕は理解している」と思ってたことを、僕は理解していませんでした。皆さんは非常に賢く、知っていて当たり前なのでしょうけど、僕にとってはそうではないのです。つまり、たっているフィールドがまったく違うわけですよ。皆さんにとって標準の知識が、僕にとっても当たり前の知識なんだという認識で接していませんでしか?でも、そのレベルに達していない僕にとっては、ちんぷんかんぷんなわけですよ。

高度な知識を持っている人は、そうでない人に物事を教えるとき、その高度なことを実は知らず知らず、標準としてどんどん使って教えているんですよ。僕も、人に物事を教えているとき、自分に標準な言葉を自然と使ってしまって、教えられている人に「わけわからんな」と感じさせているのはしょっちゅうなことです。

ですから、こういったらなんですけど、高度な知識を持った人に、中途半端に高度なことをあっちゃこっちゃと教えてもらうよりかは、自分なりにきちんとした知識を1歩1歩徐々に身につけるために、自分にとって必要だなと感じたものを、きちんと専門書を使うなりして調べたいのです。かなりスローペースでしょうが。

まぁemaさんがおっしゃるとおり、今となっては何でもかんでも利用すべきで、自分の力を試すべきじゃない時期にきてしまったいるのでしょう。しかし、無理に自分にとってわけわからんといいますか、理解してない新しい知識や情報をたくさん得たり、提供されても、自分なりにそれを消化しきれず、逆に深みにはまってしまっては意味がないと感じたのです。また、あんまりに知識ある人を頼りすぎると、それに頼りすぎてしまって、自分では結局たいしたことをやらず、ただただ聞いたことを論文にまとめてしまう結果になるのではないでしょうか?むしろ今まで、周りからいろんな情報を教えられ、あたかも自分自身がそれを理解しているように錯覚してしまったという深みに、今まで僕ははまっていたということを昨日気づかされたのではないでしょうか?

皆さんにとってはすでに当たり前のことかもしれませんが、僕にとっては新しい世界なんです。今までにないことを発明するようなことを研究とおっしゃるかもしれませんが、僕にとっては自分自身が知らない既存技術を自分で学ぶこと=研究でもいいと思ったわけです。そもそも高度な知識をお持ちの皆さんに追いつくこと自体がものすごい時間を要しますし、今までにないことを研究するなんてもってのほかです。皆さんだって、もともとは0からはじめ、コツコツと長い時間をかけて今があるはずです。

高度の知識をお持ちの方からみたら、僕の研究など子供のお遊び程度で、完成度がかなり低いかもしれません。しかし、僕自身がそれをやることで成長できればいいのではないかと思います。
ですから、できればあたたかく見守ってほしいなぁと思うのです。ケンカを売るつもりは毛頭ありません。不愉快感を与えたことは、お詫び申し上げます。
本当にごめんなさい。

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2005年10月27日 (木)

記念すべき100回目投稿。そして・・・

本投稿をもって私の100回目の投稿となります。今日は卒論の中間発表だったのですが、ぼこぼこでした。怒られるどころか呆れられ、難易度も下げられた上に1からやり直しです。発表も僕だけ15分程度で終わりました。

まぁそれは自分が悪いので、何もいえないですし、文句の言いようもないと思います。しかし、ある人のある一言で表には出しませんでしたが、ものすごく「カチン」ときました。ハッキリ言って、久方ぶりに僕のプライドも傷つき、ムカつきました。

そこで、このムカつきを収めるには、僕なりのやり方では一つしかないわけで、そのためには「卒論にメドがたつまで」、外部との接触を断たねばならんと考えました。

せっかく、最近人とのコミュニケーションが楽しく、常に誰かと話したいというテンションだったうえ、本ブログの投稿も100回目と、激しく「祝」という感じなのに、残念です。

ひとつ勘違いしてもらっては困るのですが、このブログはずっと続けていくつもりです。なにが言いたいのかと申しますと、このブログだけで、外部との接触をし、他をシャットダウンしようと思います。

ゼミのある日だけ学校に行き、バイトのときは、静かにそして速やかに仕事を終わらせ、あとは常に家で勉強することにしました。

とりあえず、今の段階で約束していることはすべてまもりますが、これ以上の接触はすべてしません。

なぜなら、今までの人生の中で、ベスト5ぐらいに値する怒りを感じているからです。ある人に、その一言を訂正させるためには、生半可な努力ではできないと思うからです。むしろこのぐらいしないと、自分自身も納得しないと思います。

残りの学生生活は、悔いの残らないようにしたいのです。
その辺を理解してくれると助かります。

そして、本日よりできるだけ自分だけの力で、(先生の力もできるだけ借りずに)卒論を完成させるつもりです。

本投稿で書き込んだことをここに誓い、それを守れないようならば、私は本当のヘタレであるということを認めます。

いつまでも凹んでいず、僕をなめたことをとことん後悔させてやろうと思います。

以上。

                          2005/10/27
                          ERASER

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2005年10月24日 (月)

TDLにおいての反省

1.生活習慣の改善。就寝・起床時間の安定化を図る。
2.簡単な体操程度でいいので、体を動かすこと。
3.自分から話しかける勇気をもつこと。(初対面の人や女性に対して)
4.自分が話されて楽しくないと思う愚痴を言わないようにすること。
  人に認められたいと思う精神をなくすこと。
  「俺は~だからできない」みたいな発言をやめること。
5.「かったるい」「だるい」などの発言を連呼しないようにすること。
6.自分のことを話す前に、話そうとした内容に関して相手にまず質問すること。
7.頭の回転が鈍っているときは、精神統一すること。
8.相手を観察すること。
9.雑学を増やすため、手の出しやすい音楽とファッションについてお金をかけること
10.人と触れ合うときめた時間は全力を出すこと。またその量を増やしていくこと。

について反省。

1.夜型になっていたので、朝早くてかなりつらく、終了間際も内心へばっていました。よって×
2.朝から晩まで歩いてたのでまぁいいでしょう。よって○
3.話しかけていたけど、ネタが思い浮かばん。最近調子でない。でもまぁこんなもんだろ。そもそも人を楽しませるトークをすること事態難しいのです。少しでもまえにすすめていれば・・・。それに、かなりしくじったことをしたわけではないので、よって○
4.これは忠実にまもれたと思う。むしろそうゆうこと言わないように、内心だけでおさめたところもある。よって○
5.もちろんしていません。よって○
6.ここまで頭回らなかった。てかこれは2人きりのときの方法だろ。でもやっぱりできなかった。う~む。てかもうよく知っている人だからなぁ。質問思い浮かばない。よって×
7.朝~昼、頭の回転が悪いというか、話のネタが思い浮かばず、かなりあせってしまった。よって×
8.ところどころ観ていたが、やぱり常に観察はできん。まだ修行が足りないと思う。よって×
9.おととい買ってきたよ。服。でもネタが・・・。△
10.1日中、他人と触れていたぞ。おい。全力だったとは思わないけど。てか全力が激しくよくわからない。△

その他、反省点、思ったこと
---------------------------------------
トイレは重要。
案外、ちょっとした沈黙にたいして僕だけが不安を感じ、相手はそうでもないのかもしれないと思う点。ちょっとした沈黙でもリラックス。沈黙にあせりを感じたら、あせったトークになってしまい、徐々に深みにはまるようだ。
やっぱり常にトークが完璧にはできない。人間ですから。
人間である僕は未熟であり、常に不完全である。完璧はない。だから、他の人と比べて優れたところもあれば、ダメなところもある。当たり前だけど。ダメなところに対して、僕はこうゆう人間だからできなくていいんだ、とか考えず、ダメでそうゆうといころをなおしたいからこそ、ダメなりに精一杯努力することが大事なんだと思った。
だから、僕はコミュニケーションがあまり得意でなくても、相手を楽しませるコミュニケーションをとれるようになりたいと、夢を持ち続け、日々ダメなりに努力すれば、徐々に近づきいつかはそうなれると思う。というか信じたい。

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2005年10月22日 (土)

現在の検証結果

1.生活習慣の改善。就寝・起床時間の安定化を図る。
2.簡単な体操程度でいいので、体を動かすこと。
3.自分から話しかける勇気をもつこと。(初対面の人や女性に対して)
4.相手に自分がさわやかな印象であることを植え付けるように努力すること。
5.「かったるい」「だるい」などの発言を連呼しないようにすること。
6.自分のことを話す前に、話そうとした内容に関して相手にまず質問すること。
7.頭の回転が鈍っているときは、精神統一すること。
8.相手を観察すること。
9.雑学を増やすため、手の出しやすい音楽とファッションについてお金をかけること
10.人と触れ合うときめた時間は全力を出すこと。またその量を増やしていくこと。

こういうことを決めたわけだが。
1.×
2.△
3.あんまり意識していなかった・・・
4.忘れてた・・・
5.○
6.まぁぼちぼち
7.最近頭は活発化。むしろ資格試験の勉強がストレスを生んでいたと思う。
8.×
9.まぁ○
10.激しく微妙。

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今週末のテーマ

自分はどういった人に好意をもつのかということ。
普段、自分がどういった人に対して好意を持つのかを検証し、自分自身にそれを適用すれば、自分自身が他の人に好意を持つのは間違いないと思う。

しかし、どういう人に好意を持つのかというのは、考えるだけ難しいものであるし、自分には持っていないからあきらめてしまう。

ならば、自分がされて嫌悪感というか、自分自身が尊敬できない人はどういうひとなのか。あんまりいい言葉ではないが、自分より劣っていると思う人はどうゆう人で、それはなぜなのか。
もしくは、自分の友人でも、ここは良くてここは悪いというところを検証し、それを自分のかてにすればいいと思う。

まず、僕がこうゆう人は尊敬できないなぁという人。

「人の話をまったく聞かない人」「自分の知識を自慢する人」
自分にもこうゆう節がある。

ならば、尊敬できるとは言いがたいが、自分の話を聞いてくれる人は、僕は好きである。ただただ聞いてくれる人である。僕はそうゆう人になろうかなぁと思う。

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2005年10月11日 (火)

当分の目標。

結論です。

1.生活習慣の改善。就寝・起床時間の安定化を図る。
2.簡単な体操程度でいいので、体を動かすこと。
3.自分から話しかける勇気をもつこと。(初対面の人や女性に対して)
4.相手に自分がさわやかな印象であることを植え付けるように努力すること。
5.「かったるい」「だるい」などの発言を連呼しないようにすること。
6.自分のことを話す前に、話そうとした内容に関して相手にまず質問すること。
7.頭の回転が鈍っているときは、精神統一すること。
8.相手を観察すること。
9.雑学を増やすため、手の出しやすい音楽とファッションについてお金をかけること
10.人と触れ合うときめた時間は全力を出すこと。またその量を増やしていくこと。

とりあえずこの辺りから。
まわりのみなさん、ご協力願います。
まぁいきなりは無理なので、多めにみながらヨロシクです。

さぁ脱ヘタレの明日に向かって・・・。

てこんな時間に投稿している僕。

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整理 「僕がめざすもの」

大きく分けて3つある。

1.速読術をマスターすることで、頭の回転を早くする。
2.将来、自分ひとりの力でお金を生み出せる男になること。
3.人とのコミュニケーション力の向上。僕の考えるコミュニケーション力の会得。

上記3つの能力がほしい理由について

1.もともと国語力がなく、できれば読解力を養いたい。頭の回転を早くすることで、どんなピンチも即座に切り抜けられるようになりたい。
2.男として生まれた以上、そうなりたい。これができること=一流の男と考える。
3.どんなタイプの人間とも良き関係を築けるようになりたい。

上記3つの能力を身につけたときの考えられる効果

1.読解力以外に、視界に入れたものを即座に脳内で処理ができるようになる。脳内情報処理の向上。人とのコミュニケーションを、人の反応や言葉、仕草を入力し、即座に臨機応変な対応(その場にあった自分が行うべき適切な行動や発言)を出力できるようになるための能力が身につく。
要点を適切に抜き出し、即座にまとめあげることができる。
視力回復。集中力の向上。
2.金。裕福な暮らし。
3.1の内容にかぶること。また、人に対しての配慮力。異性の人ともうまく付き合える。

上記3つに関して、今の自分の能力

1.昔よりも本を読むようになり、暗記力も多少向上してきた。しかし、自分の気分に左右されやすく、テンションによってかなり変わる。むしろモチベーションが整っているときが少ないので、発揮されることが少ない。

2.一応資格というものは結構とっているし、速読という自己啓発を行っている。しかし、まだお金を生むほどの能力は皆無である。

3.自分のことをただしゃべってしまうときが多い。
同性と異性に関しては、異性とはまだリラックスした状態では話せない。心のどこかでテンパッている。話が続かないケースが多い。
しかし、以前よりは会話の量も増えたし、異性との付き合いは増えつつある。そして、女性に対してすくなからず、今は楽しんでるな、今はつまらなく思っているなということを読み取って考えられるようになってきた。しかし、それ以上のことがまだできない。
また、初対面の人にはかなりテンパってしまう。まだまだ心の余裕がない。

上記3つに関して、そうなってしまう要因・原因

1.不規則な生活習慣。感情のコントロールができない。もしくはポーカーフェイス的な大人な行動が取れない。もともと根暗な性格。しかしやろうと思えば、さわやかな印象を相手に植え付けることもできるので、その状態をいかに持ってこれるかがキきめて。
一応、速読訓練は徐々に現れてきているので、このまま続けること。
2.このままで。最近向上心が廃れてきたから、もう一度自分にいいきかせて。
3.不規則な生活習慣。引き出しの少なさ。トークの仕方。相手の性格を引き出す力の不足。聞き手になれないこと。余計な自慢をしてしまうこと。

上記3つに関する解決策

1.食事の時間、就寝時間をきちんと決めること。
  体を多少なりとも動かすこと。
  精神統一し、集中力をあげること。
  日常生活で、視界を広く持ち、視覚からの情報入力量を多くすること。
  このまま速読の訓練をし、本をもっと読むこと。
  英語能力を養うこと。
  音読すること。
  2つ以上の作業や行動をすることで、頭の中を並行処理させるようにすること。
  指体操。
  本ブログのように、文章をかくクセをつけること。
2.こんままさまざまな資格取得に励むこと。
  お金に関する知識を深めること。最近は株に興味を持ち始めている。
  エンターテイメントに関して、人の心を操る知識を持つこと。
  自分の考えや気持ちを表現する方法・手段を増やすこと。
  ホームページ作成により、人気をあつめ、アフリエイト収入をしてみること。
3.食事の時間、就寝時間をきちんと決めること。
  体を多少なりとも動かすこと。
  人(特に女性と)対峙するときは、事前に精神統一をし、気を引き締め、落ち着くこと
  自分のことを話す前に、そのときに話そうとした内容をまず相手に質問してから話すようにすること。
  相手をよく観察すること。どんなにかわいい女性でも、しっかり相手をみること。
  発言する前にちょっとおさえること。
  何度も同じ内容の発言をしないこと。
  マイナス的発言「かったるい」「だるい」「ねむい」「忙しい」を控えようとすること。
  相手が僕の意見を求めているのか、それともただ聞いてほしいだけなのかをよく見極めること。
  相手の話にたいする適切な反応をすること。つまらなそうな反応はしないこと。
  笑いをとらなくても、しっかり話を聞いていますよという反応やコメントをすること。
  人と話をしているときは、ボーっとしないこと。
  たわいのないことでいいから、相手に質問するクセをつけ、相手の価値観を引き出せるようにすること。
  引き出しを多くするために、専門知識よりも雑学を養うこと。
  あせらないこと。
  テンションが低くても相手に悟られないようにすること。

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最近ダメだな

ようやくテンションは元通りになってきたけど、まだまだ修行がたりない。
ちょっともう一回自分に対して言い聞かせようと思う。
人のことを考えた行動を。
最近うまくいかない。
何度も同じことを言わないように配慮することからはじめようと思う。
そしてマイナス発言もできるだけ控えよう。
それになれたら、テンションをうまくあげる練習を。
あと、会話が思いつかないときは、あたりさわりのない質問をする能力を身につけようと思う。
勇気をつけよう。
落ち着いて一歩一歩ゆっくりでいいから練習しよう。

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2005年10月 6日 (木)

最近思うこと

最近よく思います。僕も人のことまったく言えないんですが、自分のフィールドを中心に話す人は多く、聞き手側はそうゆう自分勝手な話に対して苦痛を感じるということ。

みなさんはコミュニケーションとはなんだと思いますか?もちろん会話やジェスチャーといったものをはじめとして、たくさんの表現があり、それを使って自分以外の人と触れ合うことをコミュニケーションというのでしょう。

しかし僕はちょっと違うと思うのですよ。なにも話さない人よりかは、普通に話す人のほうがコミュニケーション力はあると思いますが、それって当たり前のことだと思うんですよ、人として。なにせ人は一人では生きていけない生き物だからというふうに考えているからなんですがね。ですから、話したりするのは当たり前なんです。ここまでは小学生や幼稚園児にだってできます。だから僕は、この当たり前なことをコミュニケーションとは言わないと思うんです。

では僕が考える本当のコミュニケーションとは?
まぁ冒頭にもありましたが、自分のフィールドを中心にするのではなく、相手のフィールドを理解しようと努めながら自分の意見を述べたり、きちんと聞いたりできることをコミュニケーションだと思うんです。

いや、難しいですよ。そんなことを思い始めてから結構努力してるんですがね。一応言っときますが、自分の趣味とまったくかけ離れた人には自分のことを話さないというのは違いますよ。たとえば、そうですね、英語のテストがあるとしましょう。これはみんな受けなければなりません。ある人にとっては勉強しなくても点数が取れても、ある人にはどんなに勉強してもわからない人だっています。勉強しなくても点数の取れる人にとっては当たり前のことでも、他の人から見ると違うんですよ。それは勉強しなくても点数取れる人は英語に興味があって、勉強しても取れない人は英語が嫌い。そういう理由も当然あります。じゃあ、同じように英語が好きな人で例をとりましょう。A君もB君も英語大好きで得意。でも英語という中身を比べると、じつは違うんです。A君は単語や熟語が得意で長文がいまいち、B君はその逆で単語・熟語は苦手だけど、長文は得意なケース。一見英語は得意というフィールドは同じでも、詳細は人それぞれ違うんですよね。
他にも、例えば、部屋がきれいなほうが落ち着いて、作業がはかどる人もいれば、部屋が乱雑しているほうが落ち着き、作業がはかどる人もいます。部屋がきれいなほうがいい人のにとって、汚い部屋は理解できずに、部屋が汚い人のことに対して罵倒するケースは多々ありますね。それは、やっぱり自分のフィールドを中心にしているんですよ。

かなり大げさな例ですがね。まぁ、そんな感じです。要は、自分にとって当たり前な世界でも、他人にとってはそうでなく、人と話すときは相手のフィールドを理解して話そうということですね。

て、簡単に言ってますが、まず相手のフィールドを完全に理解することは不可能ですね。ですから、できるだけ相手の様子をうかがいつつ、相手に質問することで相手の価値観のヒントをがんばって得るんです。そして話を構成していき、うまくコミュニケートする。それがコミュニケーションだと思うんです。

まぁこの意見に対して、読者の皆さんはどう思うかはわかりません。ですが少なくとも僕はこう考え、今も、そしてこれからも努力していくつもりです。ハッキリ言って、相手のフィールド完全に引き出し理解することはできないです。でも、理解しようと努めることが重要で、徐々にこの能力を養っていければいいなぁと思っています。

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態度

僕は、はっきりいって態度でかい。今日、ある先輩に忠告をうけたが、実際にはそうだなぁと言われる前から思っていたりする。明らかに僕の欠点だ。

う~む。我慢できないときがあるんですよね、実は。たしかに僕より長く生きている人は、その分僕より人生経験は上なので尊敬することが一般的な解釈だが、僕なりにどおしても尊敬できない年上の人というのも存在するんですよ。まぁ人間関係の合う、合わないというやつですかね。

言い方をかえると、自分より人生経験が少ない年下でも、自分よりあからさまに優れているというか、自分には持っていないすばらしい能力を持っていれば、尊敬するんですよ。そんでもって、極端な例なので勘違いしてほしくないのですが、年上だろうがあまりにも人としてどうかと思う行動や発言が目立つ人って、自分より長く生きても、尊敬するどころか、ありえないな~みたいなふうに思っちゃうんですよね。だから、僕にとって年上とか年下とか言うよりも、人として判断するんですよ。

みなさんもないですか?これも極端な例ですが、一般的にオタクといわれている人は、忌み嫌われてますよね。それが年上の人でも、軽蔑する人はたくさんいますよね?それと同じようなものです。

しかし、こんなものは言い訳にすぎなく、それが通用するのは学生である今だけなんだと思います。あんまり自分にとって+にならないことでも、とりあえずイライラせずにきちんと話を聞かなきゃいけないんだと反省。

僕の前に現れる人たちの悪いところばかりを見て判断するのではなく、できるだけいいところだけ、僕にとってうらやましいと思えるその人の価値というか、優れたところをできるだけ見て、謙虚にいかねばならんなぁと思います。

でも、僕って緊迫した空気嫌いなんですよ。壊したくなるんですよ。この間の内定式はそんな感じでしたね。もちろん、先輩社員に対してではなく、僕の同期となる新入社員の皆さんに対して思ったんですがね。なんかみんな始終敬語使ってんの。なんかあんまり好きじゃないですね、ああゆうの。

しかし、院生の間で僕は態度がでかいで有名らしい。う~む、どうしたものか。僕はポーカフェイスが苦手で、イライラというか、不愉快に思うとすぐ態度にでるんですよね。なおさなきゃ。

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2005年10月 4日 (火)

まとめ

2に関することはまず、かなり長期ななることであり、これから社会に出て学ぶことが多々あると考えられる。また、2の項目の目標を達成するには、1と3の能力は必衰と思われる。
1に関しては、養われるであろう状況判断力は3でも役に立つ。そして、事務的な能力を著しく高めれれるであろう。しかし長期の修行が必要である。
3に関しても、まだまだレベルは低いが、今すぐにでもできる項目がいくつかある。

よって、心理的に言い聞かせなければならないのは、1と3に関してで、どちらも並行的に修行する必要がある。2に関しては、とりあえず1と3を目指しながら、株とホームページ作りを趣味の範囲でやっていけばいいと思う。

これより、目標に関する順

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2005年10月 2日 (日)

人生

ある人の人生は、その人の趣味というか、興味を持つもの、そして運で決まるんだと思った。ぼくが根暗で、静かなのは、こういったパソコンとかにいままで興味を持って生きてきたからだとおもう。そして、生まれてこの方、親にあまり反抗せずに、黙って従ってきたせいか、あんまりはじけたことができない。未成年のときのタバコ、酒はまったくといっていいほどやったことがない。しかし、結構みんなやってるのだよ。それどころか、飲み食い1日で2万も使ってしまうのが今の高校生らしい。俺にはできないだろう。いや、なんていうか、親とか年のとった人から見たら、ぼくはいい子であると思う。しかし、ぼくの同世代の人から見ると、ぼくの人生は非常につまらないんじゃないだろうか・・・と思うのですよ。
もっとはじけたものに興味をもてたら、親に迷惑をかけたとしても、僕にとって楽しい人生になったんじゃないだろうか。
最近、今までの趣味に飽きてしまったからそう感じるんだと思うんですけどね。

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2005年9月25日 (日)

お詫び

ついさきほど、私の大切な親友から、ブログを読んでの意見をもらったのですが、ちょっと読者の皆様に謝ろうと思います。

最近の投稿には、親友とか友人とかの存在も信用というか信頼できないみたいな印象をもたれた方がいるかもしれませんが、そう思わせてしまったことへのお詫びです。ただ勘違いしないでください。べつにそういう意味のつもりで書き込んだわけじゃないんですよ。

僕のまわりの人々は本当にすばらしい人ばかりで、最近ではいいところばっかりが見えてしまってまぶしすぎるぐらいです。それに、僕自身はきちんと友人の方や読者の方を信用していますし、信頼していますし、かけがえがない存在です。そしてその絆は本当に堅固たるものだと思います。

ただ、私も正直信じられないのですが、本来信頼しあう間がらでも、ちょっとした要素で人間関係というかものすごい現実を目の当たりにしたんですよね。ですがそうゆう現実もやっぱりあるわけで、現実と向き合わねばならないと考えたんですね。

そもそも、人間は自分ひとりだけでは生きられませんし、自分の知らないところで誰かの役に立っていることもあれば、自分が支えられている場面もあり、もちつもたれつです。そうゆうのもまた、現実です。

ただ今回の件をとおして、私はどうしようかなぁと考えたことは、どんなに親しい間柄でも、その関係をぶち壊してしまう要素がこれもまた現実にあるんだなと。例えば金銭がらみだとか、恋愛がらみだとかね。まぁ恋愛はそのときによるかもしれませんが・・・。んで私は解決策として、今まで築いた大切な人間関係には、絶対に「関係をぶち壊してしまう要素」というものを、生み出さないようにしようと誓ったのですよ。

というわけで、もし読者の皆様に不愉快な思いをさせてしまったのなら、本当に謝りたいと思いますし、これからも私のようなヘタレと仲良くしてくれたら幸いです。

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2005年9月24日 (土)

人間の欲

えっと今日はもうすでに9月24日ですか。おととい、本ブログにて「お金の危なさ」というタイトルの投稿をしました。あんまり詳しいことは私自身の事情というものと、プライベートということもありまして、なにが私の周りで起こっているのかということは語ることはできません。まぁ抽象的に言うと、私の周りでドラマのようなことが起こりはじめ、間接的にかかわっているということになります。

まぁ私のブログを読んでくれている人は、私とほとんど同い年ぐらいの学生の方が多いと思います。自分を含めてなんですけど、学生生活では、人間関係において、他人と合う、合わないという形があるにしろ、まぁ楽しく過ごしているわけですが、社会では合う、合わないだけでは到底くくいきれないところもあるようです。タイトルどおり、人間というものには欲という感情があります。その欲は深くなるにつれて、今まで仲良くしてきた友人・兄弟・親子という関係を壊してしまうほどの危険な威力もあるようです。その欲があまりにも絶大すぎると、人間の汚さが本当によくあらわれます。こんな書き方をしては、みなさん不満に思えるかもしれませんが、自分以外の人間を信頼しすぎるのは危険です。たとえそれが親友だろうが、兄弟であろうがです。特に年をとればとるほど、人間は欲に負け、人情を捨ててしまうようです。いちおういっときますが、誰も信用するなといっているわけではなく、僕自身が誰も信じていないというわけではありません。ただ信頼というものは何かの要素であっさりと壊れてしまうものだったりするということです。まだ学生のうちでは、あんまりそういったことに直面しないと思いますが、社会にはたくさんあるのではないかとも思われます。きっと自分以外の人間を素直に信頼すると、痛い目をみることもあるのです。

これから社会にでる私は、社会人から見ると単なる無知なひよっこにすぎず、最初はたくさんだまされると思います。それらがもし起こったならば、そういった現実もあるのだと認識し、賢くならねばなりませんね。
油断禁物です。

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2005年9月23日 (金)

あ~あっ!!

なんかどうでもいい。ものすごく外部からの接触をシャットしたい気分。
高校の時の自分と同じ感じような感情をいだいてきた。
もちろん外部からの接触をすべて切断すると、自分がたださびしくなり、辛い思いをするうえ悲しくなってくるというのは経験済みでわかる。
なんでそんな気分になったのかというと、自分には到底理解できない事柄が現実では一般化しているということを改めて認識したからだ。僕の考えを聞いた人は、たいていそれが普通であたりまえであり、標準だと述べる。そしてほとんどの人がそのことを自分の頭では理解しているのだが、ついつい矛盾してしまうことを実際に行っていたり、経験してしまったりしているようだ。つまり僕の意見はハッキリ言うと理想と化してしまっているように思える。そんなことは以前からわかっているし、現実はもっと汚いというか、そうゆうことは少ないというのが現実、現実は所詮そんなもんなんだということも22年間も生きていればわかる。でも僕には理解できない世界である。理想の考えという信念も、こうゆう現実を目の辺りにすると、所詮はたいしたことなく、むしろこの理想の方が普通ではなく異常なんだと思ってくる。
ようするに自分が正しいと思い、他人も認めてくれる信念というか考え方はただの理想という異常なものであり、本当はそうあるべきでないと人々が認識していることが現実には起こっていて、僕にはそれが到底理解できず、かといって現実というものは僕一人の荷では大きすぎてなにもできず、なにもかも忘れてしまうことで、すべてから開放されたいという願望が生まれ、猫になりたいとか思うわけで、過去から今、そして未来という自分の人生にあきらめたくなってくるのである。

まぁ現実から逃げたいだけなんですよね。自分は臆病なんだとものすごく思う。

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2005年9月21日 (水)

お金の危なさ

お金はかなり人の人格を変える。いや変えるのではなく、もともとその人の中にある汚い心が露呈する。最近人におごってしまうことが増えてきたわけだが、やっぱりやりすぎはよくないものだと実感。僕はお金にのまれてしまう男にはなりたくない。お金のためならどんなことでもする、法律に反することでもばれないようにやってお金を手にするということは完全にお金にのまれてしまうことだと思うが、逆に人のために自分のお金を使いすぎることもお金に飲まれるんだと感じた。

一応いっておくが、今日の酒は俺のおごりだぁ~と会社の上司が部下たちにおごってあげたり、食事の後にだまって勘定を払ったりするのはアリなのだが、「今日、どこどこいかない?」「いや私お金ないので遠慮します。」「いや、おごるつもりでいるからさ~」「じゃ、いきます」みたいなのはちょっと危ういなぁと感じる。最近そうゆうことがあったので。あんまり前もっておごることを言葉にして相手に伝えるのはイカンことだと学んだ。

これから社会にでたら、いろんな「人間の汚さ」に直面することもあるだろう。そして自分の行いに今まで以上の責任も持たねばならないだろう。まだ経験の少ない僕には、やってみなければわからない、直面しなければわからない事もある。いや、むしろ実際に直面しなければならないことが多い。

そう考えるとまだまだ僕は子供だと考える。むしろ同い年のなかでも精神年齢がかなり低いと思われ・・・etc。

きりがないのでここでとりあえず打ち切ろうと思う。

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最近の自分

僕はブログに書いているようにデフォルトでネガティブである。実際に外に出ても人に出会えば「俺はだめだ」みたいな自分のことについてのネガティブ発言ばかりしているような気がする。こんな話を聞きたい人なんていないし、他人に自分の弱いところを露呈して激しく男として情けないとおもう。そもそもこのぐだぐだ感を人ではない別のところで発散するためにこのブログをはじめたのだ。というわけで、今後はすべてこのブログにて発散し、人と会うときは表面上だけでも楽しんでいるように見せかけようと思う。はっきり言って、今までの僕は情けなすぎ。
最近、「親しみやすい人」といわれたのだが、これはいいように聞こえはする。しかし、悪く言えば、「頼りにならないひと」「親しみやすくていい人だけど、それ以上でもそれ以下でもない人」「利用しやすい人」「情けない人」「なめられやすいひと」「馬鹿にされやすい人」「魅力のない人」だと思うわけで。
ほんと、僕の魅力なんて存在しないのだが、やっぱ男として少しは頼りになりそうなところがないとね。明日、むしろ今日か。今日から僕と出会う人へ。僕は仮面をかぶっています。だから常に楽しんでいるようにみえるでしょう。なんかネガティブな発言をしたら容赦なく罵倒してください。注意してください。

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2005年9月18日 (日)

難しいものです

女性の話は黙って聞こうみたいな感じに、今までから少し改めたコミュニケーションで女性と接しようと思ったのだが。いざ女性をまえにすると今までと変わらない。結局自分もたくさんしゃべってしまっている・・・。
う~む。でも相手も楽しそうだったし、あんまりしゃべらなかった女性とも話したし、いいのかなぁ。これで。
いや、いかんな。

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2005年9月 8日 (木)

性格について

すぐ調子にのる私の性格・・・。
直したいものだ。

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2005年9月 3日 (土)

最低な男

この前、いい男について書いてみたのだが、逆に悪い男について考えてみた。結論は最低なことをする男だと思うわけだが、では僕の考える最低なこととは?

1.人をネタに周りを盛り上げようとすること
2.人が入って欲しくない領域に無断で入り込むこと
3.女の子に対してがっついていること
4.自分のこと、自分の過去のことを単に話すこと

まず1について。ネタにされている人は回りに合わせて表面上は笑っているけど、本当は不愉快に思っているかもしれない。よくネタにされる僕の意見である。

2について。例えば携帯電話を無断で見ること。この間の飲みで僕のプライバシーがいっぱい詰まってる携帯をみられ、しかもネタにされた。非常に不愉快だ。これをやったのは同い年の友人だが、自分がやられたときのことを考えてほしいものだ。まぁその友人は携帯見られても、どってことないかもしれなが、自分の領域を無断で荒らされれば怒るはずだ。ちなみにやられて不愉快ではあったが、僕は内心怒ってはなかった。ただ見られてまずいメールがあったので、マジギレしたふりをして取り返した。それを見ていた女の子に失礼なことをしたと思う。反省・・・。

3。当然である。下心や異性に飢えているところをみせたらアウトである。一応、男についてだが、あからさまに男に飢えている女性を想像して欲しい。

4。聞いてる側はつまらん。

自分の過去を振り返ると、こうゆうことをしているときがあったと思う。
反省せねばならん。そして2度と同じことを繰り返さないよう、自分自身に言い聞かせようと思う。

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2005年9月 1日 (木)

目標がまもれなかった

昨日、大勢で飲みに行ったのは非常に楽しかった。しかし酒に飲まれてしまったと思う。
僕は、女性と話すことがかなり苦手であった。そんな自分をかえるがために、いろんな修羅場を潜り抜けてきた。そして現在は、ただ女性と話すのではなく、「いかに相手を面白くさせるか、楽しくさせるか」というコミュニケーションを練習しようと目標をたてている。その目標を成し遂げるために、まずは女性が答えやすい質問をし、相手の価値観をうまく引き出し、それから話題を組み立てていくという方法を練習している。しかし昨日はその信念というか、目標のもと、できなかったと反省する。

せっかくの飲み会だったのに、ある一人の女性Aさんはちょこちょこメールを打っていた。女性が大勢の中やトーク中にメールを打つ=つまらないと感じていると僕は考えている。だから個人的にこの女性を楽しませようと思って席を移動したまではよかった。アルコールで頭がラリっていた僕は、どう楽しませるか頭が回らなく、結局なにもできず状態だった。終いには、女性全員に、「全員お持ち帰りするから」とアホな発言をしたり、友人からは僕の昔の痴態をでかい声で話されたりと、・・・orz。家に帰ってアルコールの抜けない僕は、そのままの状態で「価値観を引き出すどころか、自分から一方的にアホなことしゃべりすぎた」と反省し、「しばらく誰とも話さないという戒めを自分に課そう」という結論をだした。そして同席していた女性Bさんに「もう誰とも話さないから」という意味不明なメールを送ってしまった。もちろん返信はなし。

なにをやってんだ俺は・・・。だから3流なんだ・・・。
ああ、ぐだぐだなときに書き込んだ「100回死んだほうがいい」、まったくそのとおりだと思う。

でもまぁ、いつもみたいにセクハラしなかっただけましかな・・アハハ・・・

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2005年8月29日 (月)

いい男とは

もちろん僕はいい男になりたいとおもっているが。。。
いい男とはなんだろうか。
もちろん外見やら中身がどうやらとか、人それぞれ好みがあり細かいところはすべて違うだろう。そういった細かい部分はとりあえずおいといて、僕が今現在考えるいい男とは、金を持っている男だと思う。
金持ちだからいいというわけではない。金持ちでもいろんなタイプがある。社会に挑戦することで自らの力で金を手にする男、生まれた家系がもともと金持ちだったケース。僕が言ういい男の金持ちは、前者である。
社会でみずからの力でお金を手にする人は少ない。またそういった人になることは馬鹿だとできない。社会の仕組みを考える思考力が必衰だ。また、社会に対してなにかするには一人ではできない。周りの力が重要である。そういった仲間を得るには、人間性にも優れていなければならないし、多くの信頼も得なくてはならない。
ほかにも例はたくさんあるのだが、この辺で終わりにしよう。
昔は、お金を持ってる人なら誰でもいいという女の人のことは理解しがたかったが、今ではなんとなくわかる。お金を稼ぐ男ほど、優れた能力をたくさん持ち合わせているのだと思う。
そうなるには、まだまだ修行が必要だと考える今日

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2005年8月17日 (水)

○○に似ているといわれて

今日アルバイトをしてきた。たまたま会社の偉い人が店にきていて、「君は○○に似ている」としつこく言われた。この○○というのは本日別店舗に出勤しているバイト先の社員のことだ。
 僕は22年間の人生の中で3人の芸能人と1人のアニメキャラクターに似ていると言われたことがある。○○に似ているといわれて嬉しいときや「え!?」と思うときもあるだろう。
 僕の場合は「○○に似ている」といわれるとものすごく不愉快になる。一般的にそういわれて嬉しいはずのときも僕の場合は不愉快だ。なぜなら、僕は僕であり、その○○という人から成り立っているわけではない。僕は僕という一個人としてみてもらいたいと考えるからだ。それに、「○○に似ている」と何度もいわれても、どう反応すればいいのか困ってしまう。そんなことをいうぐらいならもっと周りを楽しませる発言をしたらどうかと考える。

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